小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

March 2019

ヨーロッパ広布 イギリス

『新・人間革命』第5巻 開道の章 P48~

ルーブル美術館を出た一行は、サクレ・クール寺院の建築を視察するため、モンマルトルへ向かう。

モンマルトルのテアトル広場では、未来のゴッホかもしれない、画家に似顔絵を描いてもらう。

医師の川崎博士に、中心者として、フランスから本当の人権の勝利の波を全ヨーロッパに広げてもらいたいと話す。

そこから、郊外にあるベルサイユ宮殿を視察。広大な庭園を眺めながら、建設計画が進められている、総本山の大客殿をはじめ、次に着手することになる正本堂に 思いを馳せた。

ベルサイユ宮殿は、民衆の犠牲のうえに出来上がったものだが、学会が推進しようとしている、これらの建物は、民衆の真心と歓喜によって築かれるものである。

しかも、それは、王や貴族のものではなく、一部の僧侶のためのものでもない。
仏法のためであり、世界の民衆が参詣するための建物である。

その建物の完成は、人間の精神の勝利と民衆の栄光の時代の幕開けを告げる象徴となるに違いない。

伸一は、新しき人類の歴史を開く、創価学会の偉大な使命に、胸を躍らせるのであった。

翌13日、一行はイギリスのロンドンに向かう。
空港には、香港で会った婦人が夫ともに出迎えてくれた。

未入会の夫を大切にするように話し、激励する。
「言葉も通じない、見知らぬ土地で、一人で信心しなかればならず、さぞ心細かったことでしょう」

「人間は自分の使命がわからず、何をすべきかを自覚できなければ、寂しくもなれば、孤独にもなるものです。」

「あなたは、このイギリスの広宣流布の開拓という使命をもって、ここに来ているんです、仏法の眼から見れば、決して偶然ということはありません。」

「あなたは仏弟子として、大聖人から派遣されて、このイギリスにやって来たのです。その久遠の使命を自覚し、果たそうとしていくことから、大歓喜が生まれ、新たな人生の道が開かれていきます。」

人間の精神を支えるのものは使命である。
自分は何のために生きるのかー仏法は、その使命という、人生の最高の意義を教える。
ゆえに仏法は、生き抜く力、勇気の明かりとなり、自己の世界を希望の光で包むのだ。

ヨーロッパ組織の構築に 慎重に決定する伸一。
ヨーロッパ全体の責任者を 医学博士の川崎に 打診した。


2年前に初めて伸一と会って以来、寸暇を見つけて語りかけ、あらゆる機会を通して、仏法のリーダーとしての在り方を教えてくれた意味を、今になってよく理解することができた川崎。

川崎は“いよいよ私も立ち上がる時が来たのだ。この先生の期待に応えなければならない。
「信心の名医」になるぞ!”と使命を深く自覚する。


新元号「令和」決まる

太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

文化 芸術 哲学

『新・人間革命』第5巻 開道の章 P40~

パリに滞在しているバレリーナが 伸一一行を尋ねてきた。
伸一は 話すうちに 彼女の虚栄心の強さと、自身のなさを感じ、指導する。

「一流をめざすことは、大いに結構です。しかし、そのためには、一段階、一段階の目標を明確にし、日々徹底した努力と挑戦がなければなりません。夢と決意とは違います。」

「ただ、こうなりたい、ああなりたいと思っているだけで、血のにじみ出るような精進がなければ、それは、はかない夢を見ているにすぎません。」

「一流になろうと、本当に決意しているならば、そこには、既に行動がある。既に努力があります。
 成功とは、努力の積み重ねの異名です。」

「大切なのは足元を固めることです。仏法は最高の道理であり、その努力のなかに信仰がある。

「 自分を開花させ、崩れざる幸福を確立していくには、信心と言う生き方の確固たる基盤をつくることです。人間は自分の境涯が変わらなければ、いくら住む所が変わっても、何も変わりません。その境涯を革命するのが仏法です。」

「ともかく、20年、30年と、地道に信心を全うすることです。その時に、あなたの本当の人生の大勝利が待っています」と 使命と幸福の大道を歩ませるため 激励した。


建築物の視察に出掛けた一行は ルーブル美術館に寄る。
伸一は 戸田が「これからの婦人は、世界に目を向けねばならない。それには、世界的な美術品を直接、見ておくことも大事だ」と 婦人部を連れて、「フランス美術展」を鑑賞したこと思い出す。

「芸術というのは、民族や国境、宗教や習慣の違いを超えて、人間の心と心を結びつけるものだ。」

満州事変のころ、アメリカで半日感情が高まり、日本をボイコットせよという声が強くなった時、ボストン美術館で行われた展示会で、日本の絵巻物が紹介され、人びとがその美しさを褒め称えたことを思い出す。

絵巻物は、政治的な対立や人種差別、敵対感情を超え、心の共感を勝ち取ったのだ。

「優れた芸術は、人間性の発露であり、人間性の表現であると思う。ゆえに、自由であり、多様性を持っている。それは、武力や暴力など、外圧的な力で、人間を封じ込める“野蛮”の対極にあるものだといえる。」

「だから、芸術は、政治問題などの外からの規制を超えて、より深い次元で共鳴し、共感し合い、友情を結ぶことができる。私は、そこに、世界平和への芸術の可能性を感じる。」

このルーブルの至宝を ナチス・ドイツの侵略から守り抜いたのが、後に伸一と深い友情で結ばれることになる、ルネ・ユイグであった。

芸術家や文化人のなかには、ナチスの“お墨付き”を喜び、ヒトラーやナチスを称える発言をし、そうした作品を積極的に手がけていった人も少なくなかった。

なぜ、文化や芸術を愛する人間が、“野蛮”の最たるものともいえる戦争を賛美し、積極的に協力していったのか。

一つの次元からいえば、それは、「確固たる自分がなかった」ということではないか。
自分がないとは、結局哲学がないということである。その哲学とは、自身の心を、人間性を耕して
生き方信念を形成するものという意味である。

“文化”すなわち、“カルチャー”の西洋でのもともとの意味は“耕す”ことであった。

自分を耕すことを忘れ、精神を荒れ地のままにしておいて、どんなに文化を論じ、文化に深い造形を持っていたとしても、それは文化を自己の装飾にしているにすぎない。だから、文化人を自称していても、軍国主義に飲み込まれ、あるいは、拝金主義に流されていってしまうことになる。

イギリスの詩人T・Sエリオットは 偉大な芸術、文化の根底には、哲学、そして宗教的な何かがあると言った。

「芸術の創造のためにも、また、民族、国境を超えて、民衆と民衆の相互理解を深める交流のためにも、いつの日か、美術館をつくりたいね。」

伸一は 未来を思い描くように言った。


太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

フランス ド・ゴール大統領

『新・人間革命』第5巻 開道の章 P30~

オランダでの仕事を終え、フランスのパリに到着した伸一一行は、
翌日の10月12日凱旋門を通った。

弘安2年10月12日は 日蓮大聖人が 大御本尊を建立された日である。

大御本尊建立の日を 「仏国(フランス)」で迎えたことに不思議を感じる一行。

凱旋門は ナポレオンが造るよう命じたが、門ができる前にセントヘレナ島に流され亡くなっている。

伸一は「日蓮仏法を弘める私たちの戦いは、絶対に負けるわけにはいかない。なぜなら、
永遠の平和の道が、民衆の永遠の幸福の道が断たれてしまうからだ。」と決意を込めて語った。


同行のメンバーに、フランスの ド・ゴール大統領の 戦いを語る。

「パリが陥落し、フランス政府がドイツ軍に降伏した時も、決して屈しなかった。
たった一人になっても、祖国のために戦おうと、イギリスにわたり、そこから『自由フランス』の旗を掲げて、戦いを起こした。そして、再び、パリに戻って来たのだ」

フランスの三色旗に代わって、ナチスのハーケンクロイツ(鉤十字)の旗が翻り、ドイツ軍の軍靴の音が、凱旋門にこだました。

パリが陥落し、フランス軍指導者は 敗北と休戦を告げるラジオ放送を行った。

しかし、その直後、ドーバー海峡を隔てたロンドンから、ラジオ電波に乗って、まだ、戦いは終わっていない、と断固たる抵抗を呼びかける声が流れた。

声の主は、フランス軍の将軍ド・ゴールであった。全フランス的には、無名の軍人に過ぎなかったが、『自由フランス』政権をつくり、ドイツ軍と徹底抗戦しようとしていた。

その声は、妨害電波網をくぐり抜けて聞こえてくるかすかな声であった。
だが、それが、ドイツの支配下に置かれた暗黒の時代のなかで、勇気を呼び覚ます“希望の声”となっていったのである。


パリに凱旋したド・ゴールは、まず凱旋門にやって来た。
何発かの銃声が鳴り響いたが、彼は、何事もなかったかのように悠然としていた。

ド・ゴールについては、さまざまな評価がある。しかし、伸一は、困難を跳ね返す人間としての強さに、共感していたのである。

「逆境のなかで、勝利の道を開くものは、指導者の強気一念だ。そして、勇気ある行動だ。
 それが、一つの小さな火が燎原の火となって広がるように、人びとの心に波動し、
 事態を好転させていく。」

「では、ド・ゴールの強気一念の源泉とは何か。それは『私自身がフランスである』との自覚です。
 我々の立場でいえば『私自身が創価学会である』との自覚ということになる。」

「人を頼むのではなく、“自分が主体者であり、責任者だ。自分が負ければ、みんなを不幸にしてしまうのだ”という思いが人間を強くする。 私たちも、どんな苦戦を強いられようが、必ず勝って、広布の凱旋門をくぐろうよ」

その言葉は、同行の青年たちの心に強く響いた。



太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

対話と文化交流こそ平和への道

『新・人間革命』第5巻 開道の章 P16~

正本堂建立の資材調達のため、ドイツの工場を見学して回った山本伸一は、
夜、視察した会社の重役たちと会食の場をもうける。

創価学会のことを紹介した書籍を渡し、平易な言葉を使って、創価学会とはどんな団体かを説明していった。

重役陣は、驚いた顔をしながら、伸一の話に、真剣に耳を傾けていた。
彼らは、仏教の団体である創価学会の会長一行と聞いて、現実の社会から離れて山のなかにこもり、座禅でも組んでいる人たちではないかと思っていたようだ。

実際に会って話を聞くと、自分たちの描いていた仏教団体のイメージとは、まったく違っていたことに気づき、皆、大きな関心と興味をいだいたようであった。

あなたたちの仏法とは、どんな教えなのですかという質問に
伸一は、ドイツの文豪ゲーテの『ファウスト』を引用し、
「“人間は いかに生きるべきか”を説いたものが仏法です。
 人間が幸福になるための、より人間らしくあるための方途を示したてつがくが、仏法といえます」
と話した。

伸一が『ファウスト』を引いたのは、ドイツの人たちにとって、最もみじかな深い話を通して語ることが、仏法を理解する早道であると考えたからだ。

「仏法のヒューマニズムの哲理」をもとにした、「人間革命」運動についても、説明する。

伸一は、仏法用語はほとんど使わなかった。それは、通訳をしてくれている駐在員が、仏法についての知識がほとんどないことを、考慮してのことであった。

また、難解な用語を使わなくとも、仏法について語ることができなければ、仏法を世界に流布していくことはできないと、考えていたからでもある。

和やかななかにも、真剣な語らいが続き、話題は、教育、芸術へと広がっていった。
音楽の話になった時、伸一は 学会歌を披露することを 提案した。

学会の愛唱歌の一つ「黎明の歌」をひろうすると、ドイツの重役たちも歌い、
今度は、「荒城の月」を歌うと ドイツ人夫妻がシューベルトの「野バラ」を歌うと言うように
「日独歌合戦」となる。

歌ううちに、一行と重役陣の心は一つにとけ合い、昔からの友人であるかのような、ほのぼのとした雰囲気に包まれていった。

ドイツ人を代表して工場長が この出会いを通して、未来への希望と勇気を得るとともに、日本への理解を、一段と深めることができたと語った。

伸一にとって、ドイツの人びととの、仏法をめぐる本格的な語らいは、これが初めてであった。
彼は、ドイツの人たちが真摯に仏法を求めていることを実感した。

また、国境も民族も超えて、互いに共感し合えることを、強く確信することができた。


伸一は、鎖国時代の日本に キリスト教の布教が許されることを信じて来日した、
プロテスタント宣教師のフルベッキの話を通し、
日本語習得の原動力は 宗教的使命感であったようだと話す。

その国に貢献するためにも、語学を習得することが大事だと話し、
戸田先生も子どもが生まれたら、3か国語は マスターさせなさいと言われたことがあると語る。

「これからは、航空機もますます発達し、世界は狭くなる。それなのに、若い世代が、自分に言葉の壁があって、自在に交流することもできないのでは、残念じゃないか。」

「ともかく、語学だけでなく、世界に目を向け、あらゆることを勉強していこうよ。智慧は、仏法によって得、知識は広く世界に求めていかなくてはならない。」
伸一にとって、青年たちとの語らいは、楽しい希望のひとときであった。

伸一は、若い世代を大成させることこそ、自分が成さねばならない責務であると痛感していた。
というのも、彼は、いつまで、自分が生きることができるかは、全く予測しかねていたからである。

彼には、師である戸田城聖の構想を実現するために、生きて生きて、生き抜かねばならないと言う強い決意はあった。

しかし、誰の目から見ても、伸一が無理に無理を重ねていることは明らかであったし、事実、彼の疲労は、常に激しかった。

伸一が自宅に帰った時には、毎朝、彼の体温を測ることが、妻の峯子の日課となっていたが、そのたびに彼女の顔は曇った。微熱が続いているのである。

峯子には、日々、“この人は今夜も無事に、家に帰って来られるのだろうか”との思いがあった。
彼女は、伸一はいつ倒れても、おかしくはないと感じていたのである。

だからこそ、伸一は、青年の育成に、真剣に取り組んできた。
どこにいても、青年たちの栄光の未来に期待を寄せ、
その成長を念じながら、懸命に対話したのである。



太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

開道の旅路

『新・人間革命』第5巻 開道の章 P7~


山本伸一のヨーロッパ訪問は、平和への扉を開き、ヒューマニズムの種子を蒔く、開道の旅路であった。

1961年(昭和36年)10月8日、ベルリンの壁の前に立った伸一は、その夜、ホテルの彼の部屋で、同行のメンバーとともに、深い祈りを込めて勤行をした。

彼は、強い誓いの一念を込めて、東西ドイツの統一と世界の平和を祈った。

“東西冷戦による分断の象徴となった、このベルリンを、必ずや平和の象徴に転じなければならぬ・・・。

”現在の世界の悲劇も、結局、人間が引き起こしたものだ。
ならば、人間が変えられぬはずはない。

伸一は、地球を一身に背負う思いで、人類の融合と平和への挑戦を開始したのである。

「ブランデンブルク門の前で、この壁は30年後にはなくなるだろうと言われましたが、そのための、何か具体的な対策があるのでしょうか」 同行のメンバーが伸一に尋ねた。

「特効薬のようなものはないよ。ただ、東西冷戦の氷の壁をとかすために、私がやろうとしているのは
『対話』だよ。」

「西側の首脳とも、東側の首脳とも、一人の人間として、真剣に語り合うことだ。どんな指導者であれ、また、巨大な権力者であれ、人間は人間なんだよ。」

「権力者だと思うから、話がややこしくなる。みんな同じ人間じゃないか。そして、人間である限り、誰でも、必ず平和を願う心があるはずだ。その心に、語りかけ、呼び覚ましていくことだよ」

「東西両陣営が互いに敵視し合い、核軍拡競争を繰り広げているのはなぜか。
 一言でいえば、相互不信に陥っているからだ。これを相互理解に変えていく。
そのためには、対話の道を開き、人と人とを結んでいくことが不可欠になる」

「また、もう一つ大切なことは、民衆と民衆の心を、どう繋ぐことができるかです。
 社会体制や国家といっても、それを支えているのは民衆だ。」

「その民衆同士が、国家や体制の壁を超えて、理解と信頼を育んでいくならば、最も確かな平和の土壌がつくられる。」

「それには、芸術や教育など、文化の交流が大事になる。その国や民族の音楽、舞踊などを知ることは、人間の心と心を結びつけ、結びあっていくことになる。本来、文化には国境はない。」

「これから、私は世界の各界の指導者とどんどん会って対話するとともに、文化交流を推進し、平和の道を開いていきます」

「しかし、政治家でなくして、一民間人の立場で、そうしたことが可能でしょうか

一国の首脳たちがあってくれないのではないかと 男子部長が尋ねた。

伸一は、確信に満ちた声で語った。
「大丈夫だよ。学会によって、無名の民衆が見事に蘇生し、その人たちが、社会を建設する大きな力になっていることを知れば、懸命な指導者ならば、必ず、学会に深い関心を寄せるはずです。
いや、既に、大いなる関心をもっているでしょう。」


「そうであれば、学会の指導者と会い、話を聞きたいと思うのは当然です。
 また、こちらが一民間人である方が、相手も政治的な駆け引きや、国の利害にとらわれずに、率直に語り合えるものではないだろうか。」


「私は、互いに胸襟を開いて語り合い、同じ人間として、友人として、よりよい未来をどう築くかを、ともに探っていくつもりです。民衆の幸福を考え、平和を願っている指導者であるならば、立場や主義主張の違いを超えて、必ず理解し合えると信じている。」

「こう言うと、日本の多くの政治家は、甘い理想論であると言うかもしれない。あるいは、現実を知らないロマンチストと笑うかもしれない。しかし、笑うものには笑わせておけばよい。」


「やってみなければわからない。要は、人類が核の脅威にいつまでも怯え、東西の冷戦という戦争状態を放置しておいてよしとするのか、本気になって、恒久平和をつくりあげようとするのかという問題だよ。」

「私はやります。長い、長い戦いになるが、20年後、30年後をめざして、忍耐強く道を開いていきます。」

そして、その平和と、友情の道を、さらに、後継の青年たちが開き、地球の隅々にまで広げて、21世紀は人間の凱歌の世紀にしなければならない。それが私の信念だ」

伸一の烈々たる決意を、皆、驚いたような顔で、ただ黙って聞いていた。


<新・人間革命 5巻 開道の章 開始>



太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋
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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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