小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

February 2019

大阪事件 裁判の真相

『新・人間革命』第4巻 春嵐の章 P38~


「大阪事件」とは どのようなものであったのか、その背景と真実を
絶対に 忘れてはならない。


「大阪事件」とは
1957年(昭和32年)4月に行われた、参議院議員の大阪地方区の補欠選挙で、
東京から来た一部の会員が引き起こした買収事件と、熱心さのあまり、
何人かの同志が戸別訪問し、逮捕されたことから始まった事件であった。


山本伸一が、この選挙の最高責任者であったことから、彼にも嫌疑がかけられ、
その年の7月3日から15日間にわたって逮捕・拘留されたのである。


大阪事件には、会員の選挙違反を契機にして、新しき民衆勢力である創価学会の台頭を
打ち砕こうとする権力の意図が潜んでいたといってよい。


検察は、取り調べの段階で、選挙違反が山本伸一と無関係であることに、
気づき始めたようだ。しかし、違反を伸一の指示による組織的犯行に仕立て上げるために、
検事は、彼が罪を認めなければ、会長である戸田城聖を逮捕するなどと言い出したのである。


伸一が逮捕されたのは、戸田の逝去の9か月前のことであった。
当時、戸田の体は、既に衰弱しており、逮捕は、師にも結びつきかねなかった。


伸一は、呻吟の末に、ひとたびは一身に罪を被り、
法廷で真実を証明することを決意したのである。


裁判は1957年(昭和32年)10月18日から始まった。起訴の段階から、
伸一の買収関係の容疑は外されていた。

買収の嫌疑がかけられていた、理事長の小西武雄は 当然のことながら無罪になった。


判決に対して、検察の控訴はなかったが、彼らは会長の伸一だけは、
なんとしても有罪に追い込もうと躍起になったようだ。

弁護士の一人が 事態はかなり厳しい見通しなので、有罪を覚悟してもらいたいと話す。


伸一は、憮然とした顔で言った。
「無実の人間が、どうして断罪されなければならないのでしょうか。
 真実を明らかにして、無罪を勝ち取るのが、弁護士の使命ではありませんか。」


弁護士は 検察は巧妙に証言を積み上げてきているので、それを覆すことは
容易ではないと話す。


伸一は
「自分が有罪になることを恐れているのではありません。
 ただ、検察という国家権力の、そんな横暴が許されてしまえば、
 正義も、人権もなくなってしまうことを恐れるのです。だから、
 私は戦います。断固無罪を勝ち取ってみせます。」
彼は弁護士の言葉に、孤立無援を感じていた。


大阪事件の裁判は、常に、重く伸一の心にのしかかっていた。場合によっては、
会長である自分が、無実の罪で服役する事態になりかねないのである。
弁護士さえ、それを覚悟しろというのだ。
同志の悲しみを思うと、たまらなく苦しかった。


しかし、彼は思った。
“広宣流布の遥かな道程を思えば、こんなことなど、まだ小難にすぎない。春の嵐だ。
未来には、想像もできない大難が待ち受けていよう”


広宣流布への決定した一念から発する、彼の烈々たる生命力は、その苦難をはねのけ、
愛する同市への励ましの闘魂を燃え上がらせていったのである。




太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋

常識ある行動

『新・人間革命』第4巻 春嵐の章 P7~


民衆ほど、偉大な力はない。
民衆ほど、確固たる土台はない。
民衆の叫びほど、恐ろしきものはない。
民衆の前には、いかなる権力者も、富豪も、名声も、煙のようなものである。


1961年(昭和36年)2月14日、アジア訪問から帰った山本伸一は、
早くも16日には愛知県の豊橋市で行われた豊城支部の結成大会に出席した。


この日、伸一は、常識ある行動の大切さを訴えた。
「仏法は最高の道理であります。その仏法を信奉する私たちは、常に、
 礼儀しい行動を心がけていかなくてはなりません。」


「非常識な言動というものが、どれだけ学会に対する誤解を生んでいるか、
はかり知れません。周囲の人が見ても、“学会の人は礼儀正しく、立派であるな”
と思えるようでなければ、本当の信仰の姿とは言えないと思います。」


彼が、ここで、あえて「常識」を強調したのは、信仰の深化は人格を磨き、
周囲に信頼と安心を広げていく最高の常識を育む力となるからである。


「私どもが信心をしているということは、あくまでも『信心即生活』のためであります。
 観念でもなければ、精神修養のためでもありません。
 仏法とは生活法なりー」


「大聖人は『一切の法は皆是仏法』とお説きになっていますが、
 これを現代的に申せば、『信心即生活』ということです。」

「大切になってくるのが、私たちの『常識』です。信心をしているのだから、
 何をしてもかまわないなどと考え違いをし、思いあがった行動をして、
 批判されるならば、法を下げることになります。」


「鳥には鳥の道がある。魚にも魚の道がある。そして、人間には、
 人間の生きるべき道がある。その最高の人間の道が仏法である。」


人間は、たった一言の言葉で、悩むこともあれば、傷つくこともある。
また安らぎも感じれば、勇気を奮い起こしもする。

ゆえに、言葉が大事になる。

言葉への気遣いは、人間としての配慮の深さにほかならない。
友に、“希望の言葉” “勇気の言葉” “励ましの言葉” “正義の言葉”を発し続け、
深き信仰へと導く人こそ、まことの仏の使いの姿といえよう。

 

<第4巻スタート>


太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋

二月闘争

『新・人間革命』第3巻 平和の光の章 P323~


タイでの視察を終えた山本伸一の一行は、2月11日カンボジアに向かった。

この日は 戸田城聖の誕生日であった。
彼は、戸田が58歳で世を去ったことを思うと、深い感慨が込み上げてきた。

戸田の死は、伸一にはあまりにも早く感じられ、また、
30歳までも生きられないと言われていた自分が、
元気に アジアの国々を巡っていることを考えると、
戸田が寿命を分けてくれたように思えるのであった。

1952年 蒲田支部の支部幹事として、指揮をとった伸一。

報恩感謝の思いで、大聖人生誕の2月、戸田先生誕生の2月を戦いきり、
勝利の結果をもって先生にお応えし、お祝いしたかった。

師を求め、師とともに戦おうとする時、広宣流布に生きる、師の生命の
脈動が流れ通うといってよい。

蒲田の友は寒風に胸を張り、喜び勇んで、活動を開始した。
そして、この月、蒲田支部は、201世帯という未曽有の折伏を成し遂げたのである。



“やればできる!”誰もが大歓喜のなかに、そう実感した。
蒲田支部の壮挙は、触発の波動となって全国に広がり、
これが75万世帯達成への突破口となった。

この蒲田での伸一の戦いが、折伏の飛躍を遂げる
「伝統の2月」の淵源となっていったのである。


アンコールワットの遺跡を見学する伸一一行。
いにしえの アンコールワット王朝の栄華は 今は廃墟と化していた。

「結局、それを受け継いでいく『人』がいなければ、すべて、
 時とともに滅び去って行くことになる。学会も同じです。
 その精神を正しく伝える『人』がいなければ、腐敗し、堕落し、朽ち果ててしまう。」


「すべては『人』です。伝持の人、後継の人です。
 仏法を永遠ならしめていくために、戸田先生の精神の炎を、絶対に消してはならない。」


それは、戸田城聖の誕生日の、弟子としての伸一の誓いでもあった。 



東南アジアの総支部長に任命された森川に 30年後の 広宣流布の構想を尋ねる伸一。
一人を育て強くするには 何が必要かを考え、
具体的に 指導の手を入れることを 提案する。

帰国の日 当面の目標として 香港に100世帯をめざすよう提案する伸一。

「こう言うと大変なことになったと思うかもしれないが、たいした努力ををしなくても
 達成できるような目標では、皆さんの成長がなくなってしまう。

 困難で大きな目標を達成しようと思えば、御本尊に真剣に祈りきるしかない。
 そうすれば功徳があるし、目標を成就すれば、
 大歓喜がわき、信心の絶対の確信がつかめます。


 だから、目標というのは、大きな方がいいんです。」 



帰国した伸一は、迎えにきた代表幹部たちに
「私は、日本の指導にまいりました。
 さあ、今度は広布の大舞台・日本です!」と獅子吼した。

<第3巻終了>


太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋

広宣流布の方程式

『新・人間革命』第3巻 平和の光の章 P311~

バンコクのレストランで女性従業員が 声をかけてきた。
学会員であった。

今回の訪問地には、まったく学会員のいない国もあると思っていたが、
これまでのところどの国にもメンバーがいたことになる。

アメリカやブラジルと比べれば、タイには広宣流布の小さな種が
蒔かれたにすぎなかった。それは、わずかな雨風にも流され、
吹き飛ばされかねなかった。

しかし、その一つ一つの種子を大切に育み、社会に根づかせていってこそ、
広宣流布の花園が開かれる。


学会の広宣流布は、国力をバックにしての布教でもなければ、
宣教師を送り込んでの布教でもない。

その地に生きる人が信仰に目覚め、使命を自覚するところから始まる、
民衆の内発性に基づいている。


ゆえに、一人ひとりが使命に奮い立つことに、伸一は全力を注いだのである。


アジアを歩けば、いずこの地にも、日本軍による戦争の傷跡がある。

日本人は、二度とこんな愚行を繰り返さぬために、
決して、この歴史の事実を忘れてはならない。
謙虚にならなくてはならない・・・。


そして、伸一は、一人の日本人として、アジアの人びとと同苦しながら、
今度は「幸福の道」「平和の道」を開いていこうと、決意するのであった。



太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋

王仏冥合

『新・人間革命』第3巻 平和の光の章 P306~

山本伸一は考えた。

あの戦争は終わり、はや15年余の歳月が流れようとしているが、いまだ、
世界の民衆は戦火にあえいでいる。

戦後の世界は、イデオロギーによって分断され、冷戦構造がつくられていった。

「国家中心」から「人間中心」へ、そして、「世界は一つ」と考えていくべき時が
既に来ているはずだ。

そのために必要なのは、人間の多様性を尊重し、調和と融合を図り、
人類を結び合う生命の哲学だ。

一人ひとりがエゴイズムの殻を破り、蔑視や偏見を克服して人間性の
尊き輝きを放つことだ。

つまり、人間が自己完成へと向かいゆく、人間革命が不可欠である。



山本伸一は、ビルマで戦死した長兄のことを考えるたびに
小説『ビルマの竪琴』を 思い浮かべた。

終戦を迎えながら、それを知らずに敗走する日本兵達が イギリス軍に包囲される。
日本兵は 「埴生の宿」などをうたいながら包囲を突破しようとした。

合唱が終わると 今度は 周囲から「埴生の宿」が聞こえる。
イギリス兵が 歌っていたのだ。歌は英語だが、曲は同じだ。

つぎには「庭の千草」が聞こえる。それらの曲は、
イギリスで古くから愛唱されていた歌に 日本語の歌詞をつけたものだった。

敵も味方もなく 両軍の兵士が声を合わせて歌う。
戦争は始まらなかった。

歌が人間の心と心をつなぎ、無駄な血を流さずにすんだのである。

音楽や芸術には、国家の壁はない。それは民族の固有性をもちながらも、
普遍的な共感の広がりをもっている。



「『認識しないで評価してはいけない』と牧口先生は言われた。
アジアの宗教、文化、民族について研究し、正しく認識っしていくことが、
アジアを理解していくうえでも 大切だ。」と考えた山本伸一。

さらに、法華経を中心に研究を重ね、仏法の人間主義、平和主義を
世界に展開していける人材を育む必要がある。
それらをふまえ、東洋の哲学、文化、民族の研究機関を設立していこうと
構想を話す。

もう一つの構想は、人間と人間の交流による相互理解のために、
芸術、文化の交流が必要であり、音楽など、芸術の交流推進運動である。

世界中の音楽や舞踏を、クラシックから現代のものまで紹介していく。
民衆が古今東西の音楽、芸術に触れるとともに、人間の心を結ぶ運動を
起こしていこうと考えていた。

p318より
『王仏冥合』と言いますが、この平和と文化への貢献が『王法』です。
したがって『王法』には、芸術、教育、政治、経済などあらゆる社会の営みが含まれます。
その文化創造の大地となる、民衆の声明を耕していくのが『仏法』なんです。

『冥合』というのは、根底とする、奥深く合一しているということであり、
決して制度的に一体化することではない。

結論すれば、本来、仏法者の宗教的使命は、人間としての社会的使命を
成し遂げていくことで完結される。それができてこそ、生きた宗教です。




太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋
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