小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

January 2019

体育大会は 人材育成

『新・人間革命』第2巻 「錬磨」の章 p166~


創価学会が第2代戸田城聖の時代から、開催されている体育大会を取材した
一流紙の新聞記者が
『今まで聞いていた創価学会と、自分が目の当たりにした創価学会とは格段の相違である。
 まったく違っていた。』と感嘆していた。


体育大会は 様々な学校や企業でも年中行事として行われている。


しかし、創価学会の体育大会には、演ずる一人ひとりに歓喜の輝きがある。
さらに、その個が個として輝きつつ調和し、心と心の団結の美をもたらしている。


鉄の規律によって人を縛り、団結をもたらすことはできても、そこには、
個人の歓喜の輝きはない。
学会の体育大会を彩る個と全体の調和妙は、信仰による
「異体同心」の姿の結実といってよい。
ジャーナリストの鋭い理性の目は、的確にそれを見抜いたようだ。


さらに、体育大会は 人材育成の場でもある。


人材を育成するには、大きな責任を持たせ、実際にやらせてみることが大切だ。



また、現実に物事に取り組めば、机上の計画では予想もしなかった事態や、

困難に直面することもある。
だが、その体験こそ、真実の力を培う貴重な財産にほかならない。


人を育てるために、責任を与えるということは、簡単なように見えて、
難しい問題といえよう。


それは、リーダーに、人を信頼する度量と、もし、失敗したならば、
自分がいっさいの責任を負うという覚悟が要請されるからである。


失敗のリスクを恐れ、保身に汲々としたリーダーであれば、結局、
本当の人材を育てることなくむしろ、未来の芽を摘んでしまうことになる。



太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


2018年各地で開催された 青年部総会に参加した 青年部の成長が素晴らしい。

日蓮大聖人の仏法 

『新・人間革命』第2巻 「錬磨」の章 p148


1994年11月 創価学会は 宗門から独立した。
この時期に執筆された中では 宗門に対する記述がみられる。

伝統の夏期講習会で 山本伸一は『日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきもん)』を
熟慮の末 講義することにした。


『衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事』


「これは、前の御文と対をなしております。
 今度は、反対に『衆議』つまり、たとえみんなで決めたことであったとしても、
 それが仏法に相違するならば、これを打ち破っていきなさいとの御指南です。」


「つまり教えの根本は、どこまでも日蓮大聖人の御言葉です。
 御書でなければならないということです。
 学会は牧口先生以来、御書が根本です。


「その仰せのままに実践してきたがゆえに、数々の法難も競い起こりました。
 それによって御書を身で読むことができ、法華経の行者としての、
 信心の正道を進むことができたんです。」


「だからこそ、学会の信心の功徳は 無量なんです。
 永遠の福徳を積むことができる。私たちは、これからも、
 御書を心肝に染めて、信心に励んでまいろうではありませんか。」


太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


創価学会を破門した 宗門側は 『時の 貫首といえども・・・』の御文の通りに
日蓮大聖人の仏法を 実践しようとする学会に反論するための御書として、
この『衆議為りと雖も・・・』をあげ、
法主が 学会を破門したのは 正しいと主張している。


日興上人の精神を 踏みにじり、勘違いも 甚だしい。


貫首=法主=日蓮大聖人の仏法を私物化した日顕
日蓮大聖人の 仏法を 矮小化 私物化している日顕らしい解釈だ。


従うべきは、日蓮大聖人の 御言葉、御書根本だということから顔をそむけ、
檀徒を 自分の権威を表す道具、金集めの道具としか思っていない日顕らしい。


2019年1月
田原総一郎氏の著書『創価学会』が ついに10万部のベストセラーになった。



創価学会の真実の姿を ジャーナリストとして 裏表なく取材し、
ジャーナリストとしての眼で 真実の姿をとらえた、力作である。


その中で 田原氏は
「なぜ、創価学会は数々の苦難に直面しながらも 
 衰退の危機を乗り越えることができたのか。」

という疑問に対する 一つの答えとして、


『迫害は偉大な名誉だ』と語る池田先生の言葉をひき、

「創価学会の苦難の歩みは、法華経と日蓮の教えに忠実であろうとして、
 あえて、呼び起こしたものであったようにも見える。
 数々の迫害が創価学会を鍛え上げ、強くしたともいえるだろう。」

「学会員が権威や権力にひるむことなく、正しいことを正しいと言い切る
 勇気を失わなかったこと」などだろうと 書かれている。


初代牧口常三郎先生の時から、変わらぬこれが、学会精神である。
信心をしていないジャーナリストでさえ、たどりつく結論に
創価学会を破門した 宗門は いまだに たどりつかない。

『創価学会』田原総一朗著より 抜粋

日蓮仏法の精神 日興遺誡置文

『新・人間革命』第2巻 「錬磨」の章 p146

民衆の側にたつ宗教  3

1994年11月 創価学会は 宗門から独立した。
この時期に執筆された中では 宗門に対する記述がみられる。

伝統の夏期講習会で 山本伸一は『日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきもん)』を
熟慮の末 講義することにした。


『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用うべ可からざる事』

・・・戦時中の神札事件が 頭をよぎった。

軍部政府から神札をまつるよう強要された宗門は、それに屈して、
1943年6月、会長の牧口常三郎、理事長の戸田城聖をはじめ、
幹部に登山を命じ、法主立ち会いのもとに、
「学会も一応、神札を受けるようにしてはどうか」と言い出したのである。


それは、二年前の1941年9月に、御書の一部を削除する通達を出したのをはじめ、
保身のために、権力への迎合をなし崩し的に進めてきた宗門の、
至るべくして至った帰結といえた。


しかし、牧口は、その申し出を決然と拒否した。


当時、牧口は、・・・国家神道を精神の支柱として、
戦争の泥沼に突き進む軍部政府に対して、国家諫暁する好機ととらえていた。


しかし、それを行うべきは、牧口ではなく、
日蓮大聖人の法灯を受け継ぐ門流の代表者である法主であり、
そのことを僧侶が進言するのが筋であると考えていた。


だが、宗門の僧侶にその気はなかった。


時の法主日恭に 国家
諫暁を進言するが、軍部政府をひたすら恐れる法主には
国家諫暁など思いもよらなかったにちがいない。


その直後
牧口、戸田ををはじめとする学会の幹部が、次々と逮捕されていったのである。


牧口の一門が逮捕されると、宗門は、慌てて学会を信徒から除名し、
登山禁止とした。



『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用うべ可からざる事』


山本伸一は、『貫首』でありながら、正法に背き、我見の邪説を建てる人間が出ることを、
既に 日興聖人が予見されていたと思うと、深い感慨にとらわれてた。


彼は、未来もまた同じ事態が起こるかもしれないことを憂慮した。



太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


日蓮仏法の精神 身軽法重

『新・人間革命』第2巻 「錬磨」の章 p145~

民衆の側にたつ宗教  2

1994年11月 創価学会は 宗門から独立した。
この時期に執筆された中では 宗門に対する記述がみられる。

伝統の夏期講習会で 山本伸一は『日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきもん)』を
熟慮の末 講義することにした。

「・・・身軽法重の行者に於いては・・・
 『身軽法重の行者』とは、『身は軽く法は重し』とあるように
 正法のためにいっさいを捧げゆく、行動の人であります。」


「法のために何をなしたかという、実践、行動が大事なんです。
 『身軽法重の行者』は、現代では牧口先生であり、戸田先生です。
 そして、その意思を受け継ぎ日夜、広宣流布のために戦う、
 私たち創価学会員であると、私は宣言しておきます。
 ゆえに、敬うべきは権力者でも、高位の人間でも、金持ちでもないのです。」


宗門の僧侶の中には、昔ながらの身分意識にとらわれてか、
「僧侶は上」で「信徒は下」であるとの錯覚に陥り、学会員を見下し、
蔑む態度をとる者が少なくなかったのである。


それは、大聖人の語精神を踏みにじる、謗法以外のなにものでもない。
僧俗一致といっても、その根本は広布への「心」を一つに合わせることだ。
日興上人の門流を名乗る僧侶が、法を広める人を尊敬しないで、
どうして広宣流布ができようか。


伸一は、僧侶がこの御遺誡に目覚める日を祈り、願いながら、講義を続けた。



太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


2019年の 今でさえ、信徒に 伏せ拝を強要させている僧侶がいる。
本当に 尊敬される僧侶であれば、強要しなくても尊敬の態度は 信徒に現れる。

日蓮仏法の精神 随力弘通

『新・人間革命』第2巻 「錬磨」の章 p142

民衆の側にたつ宗教

1994年11月 創価学会は 宗門から独立した。

1992年から 世界宗教へと 飛躍する「創価ルネサンス」をテーマに掲げた。
『新・人間革命』 2巻が 掲載されたのは1994年6月から12月末まで、

この時期に執筆された中では 宗門に対する記述がみられる。

伝統の夏期講習会で 山本伸一は『日興遺戒置文(にっこうゆいかいおきもん)』を
熟慮の末 講義することにした。

広布が拡大し 300万を目前になっていく学会員。
学会活動に励み、多くの同志が、生活革命し、幸せになっていく喜びが、
さらに 折伏の力となっていた。


しかし、伸一は 大難に立ち向かい、広宣流布を成就していくには、
個人の小さな満足を追い求めるだけの信仰であってはいけないと思慮していた。


日蓮大聖人は 全民衆の苦悩を我が苦とし、諸難を覚悟で、広宣流布の戦いを起こされた。
その信心をいかに継承していくかである。


そのための実践はいかにあるべきか、守るべき規範とは何かを熟慮し、
『日興遺誡置文』を講義すると決めたのだ。



『日興遺誡置文』の第一条に
「富士の流儀聊かも先師の御弘通に異せざる事」とある。
「富士の流儀」とは日興上人の教えであり、それは、日蓮大聖人の教え通りだということ。


さらに、
「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可事」の文は
創価学会の精神であり、唯一創価学会が この教えのままに広宣流布にすすんでいると
伸一は講義。


軍部の圧力に屈した 宗門が 神札を受けるよう 初代会長牧口常三郎先生に言ったが、
牧口先生は国家諫暁を叫ばれ、投獄され、獄死。

さらに、二代会長戸田城聖先生も投獄された。


それをふまえて創価学会こそが、
「『不惜身命』の精神を現代によみがえらせた。
 それは、まさに滅せんとした大聖人の仏法と大精神を、
 永遠ならしめる光源であり、ここに、創価学会の正義と真実の証明があります。」






太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


1月8日付 聖教新聞紙上に
作家であり、元外交官、プロテスタントのキリスト教徒ある 佐藤優氏が
寄稿されている。

「『人間革命』、『新・人間革命』の“小説は完結したが、
 人間革命の運動は 未完である”との強いメッセージが伝わってきます。

 今後、学会員の皆さんに託されている課題は、一人一人が本物の弟子として行動し、
 人間革命の歴史を残していくことではないでしょうか。」


師匠の広宣流布への決意を 私たちが、継承し、
山本伸一として 新しい平和を作り出す歴史を 刻んでいこう。
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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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