小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

January 2019

東洋広布

『新・人間革命』第3巻 仏法西環の章 P29~


1961年 1月28日 山本伸一は アジア初訪問の旅に出発する。
アジア訪問の目的は、日蓮大聖人の御予言である、“仏法西還”の第一歩を印し、
東洋広布と恒久平和への道を開くことにあった。


日蓮大聖人は「諫暁八幡抄」に、次のように仰せである。
「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、
 日は東より出づ日本の仏法の月氏へかえるべき瑞相なり」



この「諫暁八幡抄」のほか「顕仏未来記」などにも、同様の趣旨の御文がある。
いずれも、日蓮大聖人の仏法の西還を予言され、
東洋、世界への広宣流布を示されたものである。


戸田城聖は、その御聖訓の実現を、創価学会の使命として、
伸一をはじめとする青年たちに託した。


もしも、創価学会がなければ、この仏法西還の御本仏の御予言も、
虚妄となってしまったにちがいない。


その先駆けの歩みを、伸一は会長に就任して迎えた新しき年の初めに、
踏み出そうとしていたのである。それは仏法の歴史を画し、
東洋に生命の世紀の旭日を告げるものであった。





太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋

呼吸を合わせるとは

『新・人間革命』第3巻 仏法西環の章 P20~


山本伸一の就任以来 全国各地に次々と新しい支部が結成されていた。
支部の強化の 要諦には 『団結』がある。


組織の強さは、どこで決まるか。
それは、団結であり、幹部が呼吸をあわせていくことです。


例えば、会合で支部長が『学会活動をしっかりやって、功徳を受けていきましょう』
と指導する。


それに対して、隣にいる副支部長が
『生活を離れて信心はない。仕事を一生懸命にしよう』
と言えば、まとまる話もまとまらなくなってしまう。


これは 呼吸の合わない典型です。どの人の話も学会が指導してきたことではありますが、
これでは、指導が“対立”して混乱をきたすことになる。


これは、呼吸を合わせようとしないからです。
呼吸が合えば、同じ趣旨の発言をしても自然に言い方が違ってきます。


例えば、支部長が『教学をやりましょう』と言ったら、
『そうしましょう、そして、実践の教学ですから、題目を唱え、折伏にも
頑張っていきましょう』と言えば、聞いている人も迷うことはない。


これは、“対立”ではなくて、“補う”ことになります。


大切なのは、自分を中心に考えるのではなく、
勝利という目的に向かい、呼吸を合わせていくことです。
そこに、自分自身の見事なる成長もある。


鉄の団結こそ「躍進の年」の 勝利の要諦であると
新年初の 幹部会で語る 山本伸一であった。



太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋

一念の変革

『新・人間革命』第3巻 仏法西環の章 P14~


組織の発展のためには、常にマンネリの古い殻を打ち破る斬新な発想と、
みずみずしいエネルギーが必要だ。
そして、それには 若い力に期待する以外にない。


山本伸一は、生命を削る思いで 青年の育成にあたっていた。


ある女子部リーダーが いた。
右足を膝から切断していて、歩くのに時間がかかり、
メンバーの家庭訪問も 1、2件が精いっぱい。


折伏の応援に 友人のところへ 行っても、不自由な足に 
無遠慮な 冷たい視線を浴びせられることが、少なくなかった。
彼女は いつも、そのまなざしに、蔑みの色を感じとった。


自分が中心者でいることによって、学会に対する周囲の評価を、
低いものにしているように思えてならなかったのである。

 
その悩みを 山本伸一に話した。


伸一は、彼女が 幹部リーダーとして活動することが、いかに、
大変かを、十分承知していた。彼女を称え、庇い、休ませたやりたかった。


しかし、あえて厳しい口調で話す。
「・・・女子部の幹部として、あまりにも 情けない。私はそんな弱虫は嫌いだ!」
意外なほど厳しい 指導に 茫然とする 女子部。


伸一は、彼女の気持ちが痛いほどよくわかった。しかし、単なる感傷や同情は、
彼女にとって、なんのプラスにもならないことを、彼は知り抜いていた。


彼女に必要なものは、人間としての強さである。


伸一は彼女ならばあの指導の意味を理解し、必ず、
新しい挑戦を開始するだろうと信じていた。
彼の厳しさは、信頼に裏打ちされていたのである。


泣きながら唱題する彼女に 幹部が伸一の言葉を伝える。
「先生は、あなたのことを、“弱虫ではない。きっと頑張るはずだ”と期待されています。
あなたの奮起を促そうとして、先生は あえて、あのように指導をされたんです」と


この時から、一念が変わり たちあがる女子部だった。


人間は 自らの一念が後退する時、立ちはだかる障害のみが大きく見えるものである。
そして、それが動かざる“現実”であると思い込んでしまう。


実は、そこにこそ、敗北があるのだ。いわば、
広宣流布の勝敗の鍵は、己心に巣くう臆病との戦いにあるといってよい。

伸一は今、一人ひとりの一念の変革を成そうとしていた。
人間革命といっても、そこに始まるからである。


太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋

仏法西還

『新・人間革命』第3巻 仏法西環の章 


「仏法西還」とは 「仏法東漸」の対語で、
太陽が東から西に向かうように、末法には、大聖人の仏法が日本からインドに還り、
全世界へと流布していくという原理のことである。


「時」は来た!
待ちに待った、悠久の歴史の夜は明け、ついに船出の太陽は昇った。
帆を上げよう。好機は一瞬にして過ぎ去り、再び帰ることはない。


 雲の井に、月こそ見んと 願いてし
 アジアの民に 日をぞ送らん



1956年(昭和31年)戸田城聖が 詠んだ和歌であった。


ー 雲の切れ間に、ほのかな幸の月光を見ようと願うアジアの民衆に、
それよりも遥かに明るく、まばゆい太陽の光を送ろう、との意味である。


ここでいう「月」とは釈尊の仏法であり、「日(ひかり)」とは
日蓮大聖人の仏法をさすことはいうまでもない。


戸田は、「諫暁八幡抄」などに示された、大聖人の「仏法西還」の大原理をふまえ、
東洋広布への決意を詠んだのである。
この戸田の決意は、そのまま、愛弟子である伸一の決意であった。


そして、今、伸一は、その実現のために、
この1月にインドをはじめとするアジアの地に、
東洋広布の第一歩を印そうとしていたのである。


太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋

僧侶の在り方

『新・人間革命』第2巻 民衆の旗 p319~


創価学会が 拡大するにつれ、宗門の僧侶の横暴ぶりが 各地で頻繁に報告される。


学会は宗門を外護し、赤誠をもって、その発展につくしてきた。
登山会の開始や 大客殿建立を掲げたのも 宗門を外護するのも、
日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を願ってのことだ。


しかし、僧侶の中には、広布の使命を忘れ、私利私欲を貪り、
果ては酒色に溺れるものが各地に出始めていた。


しかも、折伏に汗を流す学会員を、ただ供養を運ぶ奴隷のようにしか考えず、
見下すような態度を取る僧侶もいた。


もし、それを放置しておけば、今後、宗門は腐敗と堕落の坂道を転げ落ち、
さらには、広宣流布を瓦解させる最大の要因となるにちがいない。
また、何よりも同志がかわいそうである。



山本伸一は 彼らが“聖僧”となることを信じ、願って
僧侶の本来の在り方に言及した。



「もしも、日蓮正宗のなかで、寺院の法要や参詣のたびに、
 半ば命令のように供養を持って来いなどということがあったら、
 私は大変な問題ではないかと思います。
 また、信徒を家来や小僧のように思う、
 ずるがしこい僧侶が出たならば、由々しき事態であります。


 日蓮正宗は本来、世界でただ一つ、日蓮大聖人の教えのままに、
 広宣流布を民衆の救済をめざす、清浄な宗派であるはずです。


 それゆえに、私たちは寺院を守り、供養し、僧侶を大事にするのです。


 仮に、その学会員を軽んじるような僧侶、悪侶が出たならば、
 それは、日蓮大聖人の仰せに反し、日蓮大聖人のお心にも反するものであり、
 学会は断固、戦っていかねばなりません。」


伸一は、皆、平等であるべき人間が、“衣の権威”によって差別され、
仏法の根本思想が歪曲されてしまうことを、最も懸念していたのである。


また、仏弟子である僧侶を、腐敗堕落させたくはなかった。
それは、彼の仏法者としての信念であり、良心であった。


太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


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