小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

December 2018

人間の真価

『新・人間革命』第2巻 「先駆」の章 p36


幹部会で伸一は戸田城聖の仕事が暗礁に乗り上げた時、
戸田先生に世話になりながら、「戸田から離れろ」と言った二人の幹部と
「今こそ戸田先生を守り切って信心で立て」と言った
一人の幹部のその後を対比して指導した。


 
「人間の真価は、いざという時にすべて現れる。
学会が難を受け、避難と中傷の集中砲火を浴びたときに、
いかに行動するかが、いっさいの分かれ目です。

難こそ自身の成長のチャンスであり、大飛躍の時です。
ゆえに、ひとたび難があったならば、それを喜びとし、
また、誇りとして、敢然と戦う師子王の如き皆さんであっていただきたい。」

伸一が、敢えて難に触れたのは、学会の未来に競い起こるであろう法難を、
ひしひしと感じていたからである。


・・・その時に一人たりとも脱落させてはならないとの、強い願いを込めての
指導であった。
しかし、単なる彼の追憶談として、話を聞いていた人もあった。


「では、いざという時に頑張れば、普段はどうでもよいかというと、
そうではありません。常日頃からいい加減な信心の人が、大変な時に
戦えるわけがありません。


大切なのは 今です。
永遠といっても、一瞬一瞬の連続です。
今、戦わずして いったい何年後に戦おうと言うのですか。


ゆえに、この一瞬を、そして、今日という一日を、最善を尽くして戦い、
悔いなき人生の、1ページ1ページを開いていってください。」


第三代の 会長就任から、わずか2か月間のうちに、
山本伸一の行動は、ほぼ日本全国に及んだ。


太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


後継の人

『新・人間革命』第2巻 「先駆」の章 


先駆けの勇者によって突破口ができれば、流れは開かれる


“後継”と “後続”とは異なる。


後方の安全地帯に身を置き、開拓の労苦も知らず、
ただ、後に続く “後続の人” に、 “後継” の責任を果たすことなど、
できようはずがない。

 “後継の人” とは、勝利の旗を打ち立てる
 “先駆の人” でなければならない。




太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


リーダーの心得 “なんのため”を忘れるな

『新・人間革命』第2巻 「先駆」の章 p22


300万世帯の達成といっても どこまでも、友の救済にある。


人間は”意味に生きる動物である”。
人は“なんのため”かが明らかにならなければ、
本気になって力を注ぎこむことはできない。


それは、広宣流布の活動においても同じである。


皆が、なんのための運動か、なぜ、今、それを行うのかを、
よく納得 理解するならば、自主的に行動を開始していくものだ。


そして、そこから、さまざまな創意工夫も生まれていく。
それが“現場の知恵”である。

知恵は知識を動かす力である。



いかなる運動も、絶えず、“なんのため”かという根本目的に
立ち返ることがなければ、知らず知らずのうちに、
手段や方法が独り歩きし、本来の目的から外れてしまうものだ。


また、皆が、意義、目的を心の底から納得していないにもかかわらず、
目標の数や方法ばかりが強調されれば、
押し付けられているような思いをいだくにちがいない。


すると、皆の活動に取り組む姿勢は受け身になる。
受け身の行動には歓喜も躍動もなくなる。
それでは、いかに高邁な運動もやがては 行き詰ってしまうにちがいない。


意義、目的の理解と合意ができたならば、目標の設定である。


目標は、組織としても、個人としても、より具体的でなければならない。
目標があれば、張り合いも出るし、達成できた時の喜びも大きいものだ。


そのうえで、いかにしてそれを達成するかという、方法の検討が大切になってくる。


山本伸一は、まず、300万世帯達成の根本目的を再確認することから語り始めた。
そして、その達成の道は、座談会の充実にあることを訴えていった。


闇の彼方に暁の光が走り、朝の到来を告げるように、
広宣流布の運動にも、先駆けの光がなくてはならない。


伸一は 全国各地のなかで、関西の同志に、学会の先駆けとしての
見事な活動を期待していた。



太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


創価学会の会員と 会長

『新・人間革命』第2巻 「先駆」の章 p16


山本伸一(池田先生)は 会長に就任すると、直ちに全国各地を回り、
会員の指導、激励に東奔西走してきた。

それは、一人でも多くの会員と会い、ともに新たな出発をするためであった。
また、誕生した新支部の旅立を祝福し、活動の流れを速やかに軌道に乗せるためでもあった。
伸一が最初に訪れたのは、大阪であった。


関西は伸一にとって、忘れ得ぬ、青春の思い出の天地であった。

関西のメンバーは 皆、入会の日も浅く、活動の経験も乏しかったが、
伸一の指揮のもと、純真に懸命に活動に取り組んだメンバーによって、
1支部で 1か月に 1万1千111世帯という広宣流布の歴史に残る
不滅の金字塔を打ち立てた。

さらに、7月の参議院選挙でも 「まさかが、実現」と新聞に書きたてられた
大阪地方区で不可能と言われた当選を果たす。

だが、その後学会の全身を阻もうとする権力により、伸一は 不当逮捕されてしまう。
その時、伸一の逮捕を悲しみ怒り、邪悪な権力との闘争に立ち上がったのが
関西の同志であった。

山本伸一を 新会長に迎えた関西同志の喜びが爆発する。
関西の友にとって、伸一との間に介在するものなど、何もなかった。
立場や役職といった関係を超えて、ともに広宣流布の使命に生きようとする、
人間と人間の絆に 結ばれていた。

それが、関西の強さであり、また、学会の強さでもある。


かつて、戸田城聖は
「なぜ、私は関西にやってくるのか。それは、
この関西から 大阪から、貧乏人と病人をなくすためである。」

と指導された。


創価学会は「貧乏人と病人の団体である」との批判が 何度も繰り返されていた。

その時、戸田は、そんな悪口を言うものがいたら、
「それでは あなたは、貧乏人と病人を、何人救ったのですか」と言ってやりなさい。
と指導された。

仏法は、現実から目をそらし、慰めや 観念の幸福を説くものではない。
眼前の不幸に挑み、現実社会のなかで、勝利の実証を打ち立てていくのが、
本来の仏法のあり方である。



300万世帯の達成といっても どこまでも、友の救済にある。


太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋


組織

『新・人間革命』第2巻 「先駆」の章 p7


歴史的偉業というものは、必ず苦難があり、道は険しく、時間がかかるものである。
広宣流布という未聞の絵巻も、また同じであるといってよい。
ともあれ、正法流布とは、人類の幸福という大海原を開いていくものだ。
そこには、嵐があり、うねりがあり、怒涛もつきまとうに違いない。
そこに身を投じて戦うところに、偉大なる人間革命の法理が存在する。


山本伸一は1960年5月3日 第3代会長に就任すると
恩師戸田城聖の遺言である300万世帯の達成を
4年後の7回忌までの目標として、新たなスタートを切る。


5月3日の時点で 学会の世帯数は 140万。
4年で倍以上にしようと言うのである。


「広宣流布は 急ピッチで進んでいる。
第一線の同志は 皆、新たな決意で真剣に戦っています。
それなのに、肝心の本部が惰性に陥ってしまえば、
中枢から腐っていく。怖いことです。」


伸一が一番恐れていたのは、中心となる最高幹部の意識の遅れであった。
・・・

惰性とは、気づかぬうちに陥るものだ。現状をよしとし、
「日々革新」を忘れた時から、既に惰性は始まっている。


組織は、信・行・学を 間違いなく加速させていく道である。
また、人びとが安心して伸び伸びと大樹に成長していく、大地であらねばならない。
伸一は、信心と幸福の人華を咲かせゆくために、各県に、そして、各地域に、
その大地となる組織を 整えておきたかったのである。



太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋



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