『新・人間革命』第8巻 激流の章 P353~

慶尚北道大邸に、染物業を営む、崔正烈という30代半ばの男性がいた。彼は、二年ほど前に信心を始め、大邸のメンバーの中心的存在として、活動に励んできた。彼は、学会への政府の対応を新聞の報道などで知ると、これを放置してはならないと思った。

政府に学会を正しく理解してもらいたいとの一心で、学会がいかなる宗教団体かを記した文書を内務部に送ったが、回答書は、最初から、学会を危険な団体と決めつけていた。

この回答書では、学会は、反国家的、反民族的な団体であり、その布教のための会合や連絡、宣伝につながることになる、学会の出版物の搬入、配布も、取得も、国是に反すると明言されていた。

崔は、韓国の憲法では、「宗教の自由」は保障されているとし、今回の問題は、韓国政府の、学会への誤った認識から生じている。これは、御書に照らせば、信心を妨げる三障四魔の働きであり、私たちの
信仰が試されていると言って、社会的な配慮は大切だが、一歩たりとも退くことなく、今こそ、堂々と、仏法と学会の正義を訴え抜いていこうではないかと皆に語りかけた。

「もし、私たちが、こんなことに負けて、信心の火を消してしまったらどうなるのか。宿命に泣いてきた、わが韓国の同胞を幸福にすることは、永遠にできなくなってしまうではないですか。私たちは立ち上がります。何があっても、信心を貫いていきます。そして、一人たりとも、絶対に退転させまいと言う決意で、同志を励まし、勇気の光を送っていこうではありませんか」

皆、信心を始めて、日も浅い人たちであったが、崔の懸命な訴えに集ったメンバーの瞳は、次第に輝きを増していった。

一方、ソウルにも、激しい嵐が吹き荒れていた。韓国に里帰りしていた大井純江は、何度も取り調べを受けた。彼女は当局の誤解を解こうと、懸命に学会の歴史と真実を語り説明に努めた。だが、事態は日一日と厳しさを増していった。「魔競わずは正法と知るベからず」との御聖訓の通りであることを実感していった。

“みんなにも、何があっても負けないように、訴えなければ・・・”監視の目が光るなか市内の中華料理店にソウルのメンバーが 集った。個人の家に集うことは危険であったからだ。大井は「御書に『法華経を信ずる人は冬のごとし』とありますが、今がそうです。でも、さらに『冬は必ず春となる』と仰せです。信心を貫く限り、必ず春は来る。希望の季節は来ます。どうか皆さん、互いに助け合い、団結して進んでください。たのみます。」彼女は祈るような思いで訴えていった。

皆、大地にしがみつくかのように、必死になって信仰の根を張ろうとしていったのである。

崔は、この状況を打破する方法はないかと、思索を重ねていた。そこで、基本的人権である「宗教の自由」を 奪う行為だと内務部長官を相手取り、行政処分取消請求訴訟を起こす。ソウル高等法院は、崔の勝訴の判決を下すが、内務部は これを不服として、大法院に上告した。

それから、半年過ぎたころ、崔は、ソウル近郊の農場で働いていたが、突然、外国為替管理法違反で、突然逮捕される。学会本部では、資金援助しているわけでもないし、また、韓国で供養を募り、それを日本に運び込んだこともない。したがって、外国為替管理法に違反するはずがなかった。しかも、崔は、この取り調べのなかで、担当官から学会の批判を聞かされ、学会をやめれば釈放すると、脱会を勧められたのである。

だが、彼は、厳として、いささかも揺らぐことはなかった。崔は29日後、結局、起訴されることなく釈放されたのである。


太字は 『新・人間革命』第8巻より