『新・人間革命』第8巻 激流の章 P300~
日本でも、ケネディ暗殺のニュースは、11月23日朝から一斉に報道された。
皮肉なことに、この23日は、ケネディ大統領によって推進されてきた、米通信衛星による、日米間テレビ中継の実験が行われる日であった。
画像は至って鮮明であった。日本国内の映像とほとんど変わらなかった。 宇宙中継は、見事に成功したのである。だが、送られてきた、その映像は、あまりにも大きな人びとの悲しみを伝えていた。
山本伸一は、この宇宙中継を見ながら、ケネディという人物に、深い思いをめぐらした。
彼には、ケネディの死が盟友の死のように感じられてならなかった。語るべき相手を、ともに世界を担うべき人を亡くした無念さが、今、ひたひたと伸一を包んでいた。
伸一は、心の盟友として、自分は何をもって、ケネディの死に応えるべきかを考えた。答えは明白であった。ケネディの理想を受け継ぎこの地上から、人間への差別をなくすことだ。この世界に、永遠の平和を築き上げることだ。
彼は、ケネディが生命を燃やして、高らかに掲げた理想の松明を、決して消すまいと心に誓っていた。
この日、鹿児島会館の落成式に出席した伸一。伸一は思った。"日本は既に盤石といえる。しかし、世界の広宣流布は、まだ緒についたばかりである。世界の民衆が、幸福と平和を手にするまで、私はこの身をなげうち、生涯、広布の旅を続けるのだ。それが、牧口先生の孫弟子である、私の使命だ!"
翌日、伸一は 福岡を訪れ、福岡県大牟田市の三井三池鉱業所の炭坑爆発事故で犠牲となった学会の家族らに、何らかの励ましの手を差し伸べたかったからである。
働き手の夫を亡くした妻や家族は、途方に暮れているにちがいない。また、信心をしていたのに、なぜ事故にあうのかといった、批判にさらされているかもしれない。そう思うと、彼の心は痛んだ。
事故で夫を亡くした結婚間もない婦人がいたが、彼女は毅然として、弔問客を励ますかのような応対が、周囲の感動を呼んでいたとの報告を受ける。彼女は、御書を拝し、教学を研鑽していたという。
「それが教学の力であり、信心の力です。御書には、生死の根本的な解決の方途が示されている。御書を拝し、仏法の眼を開いていくならば、死も決して恐れるに足らないものであることがわかる。また、唱題に励むことによって、それを実感し、確信することができる。
もちろん、最愛の夫の死は、悲しいのは当然です。しかし、そのことと、悲しみに負けてしまうこととは違う。人間は死を避けることはできない。死という問題に直面した時には、人は無力にならざるをえない。だが、仏法にだけは、そして、信心にだけは、その死の問題の確かな解決の道がある。
それを教え、一人ひとりの同志に、勇気を与え、確信を与えていくのが幹部です。だから幹部は、苦しんでいる人の立場になって、激励に次ぐ激励を重ねていってもらいたい。」
1963年の最後の主要行事は 男女青年部の総会であり、「本門の時代」の幕開けの意義を込めた総会であった。「本門」とは、理論や概念ではなく、現実に広宣流布の証を打ち立てる時代であるというのが、青年たちの共通の理解であり、決意であった。
大理想の実現は、空想の彼方にはない。毎回、毎回の勝利の着実な積み重ねのなかにこそ、それがあることを知らねばならない。
この男女青年部の総会をもって、学会は「本門の時代」の助走を、勢いよく開始したのである。そして、年末、12月度の折伏の成果が集計されると学会の総世帯数は、400万世帯になんなんとしていた。
日本でも、ケネディ暗殺のニュースは、11月23日朝から一斉に報道された。
皮肉なことに、この23日は、ケネディ大統領によって推進されてきた、米通信衛星による、日米間テレビ中継の実験が行われる日であった。
画像は至って鮮明であった。日本国内の映像とほとんど変わらなかった。 宇宙中継は、見事に成功したのである。だが、送られてきた、その映像は、あまりにも大きな人びとの悲しみを伝えていた。
山本伸一は、この宇宙中継を見ながら、ケネディという人物に、深い思いをめぐらした。
彼には、ケネディの死が盟友の死のように感じられてならなかった。語るべき相手を、ともに世界を担うべき人を亡くした無念さが、今、ひたひたと伸一を包んでいた。
伸一は、心の盟友として、自分は何をもって、ケネディの死に応えるべきかを考えた。答えは明白であった。ケネディの理想を受け継ぎこの地上から、人間への差別をなくすことだ。この世界に、永遠の平和を築き上げることだ。
彼は、ケネディが生命を燃やして、高らかに掲げた理想の松明を、決して消すまいと心に誓っていた。
この日、鹿児島会館の落成式に出席した伸一。伸一は思った。"日本は既に盤石といえる。しかし、世界の広宣流布は、まだ緒についたばかりである。世界の民衆が、幸福と平和を手にするまで、私はこの身をなげうち、生涯、広布の旅を続けるのだ。それが、牧口先生の孫弟子である、私の使命だ!"
翌日、伸一は 福岡を訪れ、福岡県大牟田市の三井三池鉱業所の炭坑爆発事故で犠牲となった学会の家族らに、何らかの励ましの手を差し伸べたかったからである。
働き手の夫を亡くした妻や家族は、途方に暮れているにちがいない。また、信心をしていたのに、なぜ事故にあうのかといった、批判にさらされているかもしれない。そう思うと、彼の心は痛んだ。
事故で夫を亡くした結婚間もない婦人がいたが、彼女は毅然として、弔問客を励ますかのような応対が、周囲の感動を呼んでいたとの報告を受ける。彼女は、御書を拝し、教学を研鑽していたという。
「それが教学の力であり、信心の力です。御書には、生死の根本的な解決の方途が示されている。御書を拝し、仏法の眼を開いていくならば、死も決して恐れるに足らないものであることがわかる。また、唱題に励むことによって、それを実感し、確信することができる。
もちろん、最愛の夫の死は、悲しいのは当然です。しかし、そのことと、悲しみに負けてしまうこととは違う。人間は死を避けることはできない。死という問題に直面した時には、人は無力にならざるをえない。だが、仏法にだけは、そして、信心にだけは、その死の問題の確かな解決の道がある。
それを教え、一人ひとりの同志に、勇気を与え、確信を与えていくのが幹部です。だから幹部は、苦しんでいる人の立場になって、激励に次ぐ激励を重ねていってもらいたい。」
1963年の最後の主要行事は 男女青年部の総会であり、「本門の時代」の幕開けの意義を込めた総会であった。「本門」とは、理論や概念ではなく、現実に広宣流布の証を打ち立てる時代であるというのが、青年たちの共通の理解であり、決意であった。
大理想の実現は、空想の彼方にはない。毎回、毎回の勝利の着実な積み重ねのなかにこそ、それがあることを知らねばならない。
この男女青年部の総会をもって、学会は「本門の時代」の助走を、勢いよく開始したのである。そして、年末、12月度の折伏の成果が集計されると学会の総世帯数は、400万世帯になんなんとしていた。
太字は 『新・人間革命』第8巻より