『新・人間革命』第8巻 宝剣の章 P106~

伊豆の天城で、男子部の水滸会の研修が行われた。伸一は『本門の時代』の大リーダーを育成する研修にしようと一気に語っていった。

「大切なことは、生涯、学会精神に生きることだ。」「学会精神と言うのは、学会が大難に遭い、非難の集中砲火を浴びた時に、決然と立ち上がることだ。」

「大聖人は仰せである。『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑わざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ』『我が弟子に朝夕教えしかども・疑いをおこして皆すてけんつたなき者のならいひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし』

「大事なことは、“まことの時”に学会が難に遭った時に、何をするかである。どう生きるかである。その時に人間の本質がわかる」

「戸田先生の事業が最も窮地に陥っていたころ、私も胸を病み、発熱と喀血に苦しんでいた。給料も遅配が続き、社員は一人、二人と去って行った。なかには陰に回って、大恩ある先生を痛烈に批判する者もいた。そのなかで、私は働きに働いた。そして、先生に一身を捧げ、先生とともに戦い、先生が生きておられるうちに、広宣流布に散りゆこうと、密かに決心した。」

「しかし戸田先生は、何もかも、鋭く見抜かれていた。『お前は死のうとしている。俺に、命をくれようとしている。それは困る。お前は生き抜け。断じて生き抜け!俺の命と交換するんだ』弟子を思い、広宣流布を思う、壮絶な火を吐くような師の叫びだった。この先生の言葉で、私は広宣流布のために、断じて生き抜く決意をした。」

その後、自由闊達に意見が交わされ、さまざまな問題提起や質問があった。

メンバーの一人、鮫島源治は、伸一の会長就任後に、法華講から学会に入った青年で、東大を卒業し、やがて本部の職員となり聖教新聞社に勤務していた。伸一は、鮫島のもつ二面性を感じていた。彼が、しばしば陰で先輩幹部を批判し、自分だけが学会の未来を憂えているかのように語る、性癖があることも知っていた。

しかし、二面性は、多かれ少なかれ、誰にでもあることだ。仏法では、善悪一如と説き、己心に、仏の生命も、釈尊の命をつけ狙った提婆達多の生命も具わっていることを教えている。伸一は、ひとたび学会の門を叩いた青年を、なんとしても大成させたかった。

伸一は、この人物を、30年の間、見続けていこうと思った。“歳月は、人間を淘汰する。彼も30年の間、本気になって信心に励んでいくならば、自分に打ち勝って、見事に人間革命することができるはずだ。しかし、野心、野望で動き、学会を自分のために利用しようとする心があるならば、その間に、学会から離反していくことになるだろう”

伸一は、この鮫島の育成にも心血を注ぎ、彼に活躍の場も与えた。だが、鮫島は、いつしか、自分が学会を牛耳ろうという野望の火を燃え上がらせていった。後年、副会長になるが、最後は学会に反逆し、無残な退転者の道を歩んでいくことになるのである。

ある青年が、自分の担当している組織の実態が厳しいので、どうしたらよいかと質問すると即座に、伸一の大きな声が響いた。「君が立ち上がればいいんんだ!」

「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく。」「事態が厳しければ、自分が一人立つ ー 常に、私はその精神でやってきた。」


「私が、24歳の時だ。・・・ほとんどの幹部は、私よりも年上だ。しかし、最後は皆、私と心を合わせて動いてくれた。なぜか、“私は真剣であったからだ”誰よりも、必死であったからだ。・・・この人の言う通りにやれば必ず壁を破ることもできるだろう”とみんなが思ったからだ。そして、私は、結果を出した。

「私の行くところは、事態、状況は、いつも最悪だった。そのなかで、勝って、戸田先生にお応えしてきた。それが弟子の道だ。ポーズだけの、遊び半分の青年など、学会には必要ない。君も立て!断じて立つんだ。見ているぞ!」まさに生命と生命の打ち合いであった。



太字は 『新・人間革命』第8巻より