『新・人間革命』第7巻 操舵の章 P360~

山本伸一は 選挙違反という無実の容疑で逮捕され、出獄した時の、
戸田城聖の言葉を思い返した。

「今回の事件は、私が 弟子たちを参議院に送ったことから起こった。国家権力は、新しい民衆勢力が台頭してきたことに恐れをいだいた。民衆を組織した学会の団結が怖いのだ。だから、学会を叩きつぶそうとして、私を逮捕しようとした。そのために、会員の小さな選挙違反を見つけて、無理にでも会長である私に結びつけようとした」と語った。

「私を捕らえて、犯罪者にすれば、学会は極めて反社会的な、犯罪集団であるとのイメージをつくることができる。リーダーを狙い撃ちにするというのは、弾圧の常套手段なのだ。」

「伸一、君を逮捕し、責め立てたのも、私に操作の手を伸ばしたかったからだ。だが、君は、それを見破った。そして、罪を一身に被ろうとした・・・」この時、戸田の目頭が潤んだ。その瞬間の光景が、伸一の心に焼きついて離れなかった。

「今回のことは、君の人生にとっては、予行演習のようなものだ。やがて将来、権力は魔性の牙をむいて、本格的に襲いかかってくるに違いない。弾圧は、決して戦時中の昔の話ではないよ。」

「権力のもつ、魔性の本質は何も変わっていない。それだけに、より巧妙な手口で、弾圧することになる。それが、いつ起こるかはわからないが、学会がもっと社会的にも力をつけ、飛躍的に発展した時が危ないぞ。」

「学会を封じ込めるために、なりふり構わず、卑劣な攻撃を仕掛けてくるだろう。その時は、君が狙われることになる。覚悟しておくことだ。」

「日蓮大聖人は、『今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり』と仰せだ。大聖人は、味方よりも、強敵が人をよくすると言われているのだ。大難の時に、勇気を奮い起こして戦えば、人は強くなる。獅子になる!」

「学会が難をうけた時に、自分には、直接、関係ないといって黙って見ているのか、自分も難の渦中に躍り出て、勇んで戦っていくのかが、永遠不滅なる生命の勝利、すなわち、一生成仏ができるかどうかの境目といえる。」

「また、難が起これば、人間の真価がわかるし、一人ひとりの信心の真偽も明らかになる。そして、学会を利用しようとしていた者や、臆病者は去って行く。難はまやかしの信仰者を淘汰し、獅子をつくる。それでよいのだ」
伸一は、この時の戸田の言葉を、片時も忘れることはなかった。

政権党の大物代議士が、伸一とケネディとの会見に横槍を入れてきたことも、その一つの現れといえるだろう。

学会を封じ込めるために、ありとあらゆる手段を駆使してくるに違いない。

あとで、いかに無実が証明されても、会長である自分を逮捕や起訴に持ち込み、大々的に報道させれば、学会は危険極まりない、反社会的な犯罪集団であるかのようなイメージを定着させることができる。そうなれば社会的な信用を失い、学会は孤立していくことになるからだ。

あるいは、退転者を取り込み、“内部告発”というかたちをとって、ありもしないスキャンダルをでっち上げることも十分に考えられる。

その虚偽の“告発”を、一部のマスコミを使って流すことによって、会員に不信感を植えつけ、団結に亀裂を生じさせようとする謀略である。

いずれにせよ、政党から宗教団体、マスコミなど、学会の前進を恐れる、ありとあらゆる勢力が、学会憎しの一点で、主義主張もかなぐり捨てて手を結び、集中砲火を浴びせる事態が、必ずくるに違いないーー。

伸一は、戸田城聖が詠んだ、一首の和歌を思い起こした。

いやまして 険しき山に かかりけり
 広布の旅に 心してゆけ


やがて至るであろう広宣流布の険路を思うと、彼の胸に、闘魂が赤々と燃え上がるのであった。



太字は 『新・人間革命』第7巻より