『新・人間革命』第7巻 萌芽の章 P118~
日系人が経営するホテルを会場に、教学部の任用試験と助師を対象にした昇格試験が行われた。
教学試験は、口頭試問で、日本語と英語に分かれて実施された。
担当の幹部は、日本では当然と思われていたことも、国が違えば考え直さなければならない問題がたくさんあることに気づいた。
広宣流布は、決して画一的な方法で進めることはできない。国情や文化、民族性などを深く理解し、その国、その地域に価値をもたらす方法を見極めていくことが大切になる。
「布教は、友の幸福を念じ、自分の信ずる思考の教えを、最高の生き方を教えていく、崇高な慈悲の行為です。ゆえに、布教をしていけば、真の友情と信頼が生まれます。」
「布教のなかにこそ、真実の仏道修行があり、人間革命がある。なぜならば布教は、自分の臆病な心や生命の弱さを打ち破るという、自己自身との戦いから始まるからです。」
「この弘教のなかにこそ、自らの人間革命があり、自身の、さらに社会の宿命を転換し、永遠の幸福と平和を築きゆく直道があります。」
「拡大の要諦は団結です。」
「私どもの信心は、どこまでも『法』が根本です。広宣流布という崇高な大目的を成就するために、みんなが心を合わせ、団結して活動を進めていく必要があるのです。」
「もし、中心者が嫌いだからとか、自分の方が信心が古いからといって、あの人のもとでは活動できないという人がいたならば、その人は『法』が根本ではなく、『人』に対する自分の感情が根本になっているんです。また、それは、わがままです。わがままは、自分の心に負け、信心の軌道を踏み外した姿です。」
「結局は、その人自身が不幸になります。反対に中心者を守れば、自分が守られる。これが因果の理法です。」
「ともかく、皆が同志として尊敬し、信頼し合って、また、足りない点は補い、守り合えれば、鉄の団結が生まれます。その団結が、最大の力になる。御書には『異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし』と仰せです。」
質問会のなかで、新入会のメンバーが増えているので、僧侶を派遣して、"出張御授戒"をしてほしいとの要望も出された。
日蓮仏法における戒律とは、受持即観心、受持即持戒であり、三大秘宝の御本尊を受持することが、そのまま戒律となる。
したがって、授戒といっても、その本義は、生涯、御本尊を受持し、信心に励んでいくとの誓いを立てることにこそる。つまり、授戒の儀式自体は、そのための形式といえる。
しかし、初代会長牧口常三郎は、正しい信心を始める"けじめ"をつけさせ、発心を固めさせる意味から、授戒の儀式を宗門に要請した。以来、入信に伴う儀式として"御授戒"が定着していったのである。
帰国後、直ちに"出張御授戒"のために、僧侶を派遣するよう、日達法主に要請している。
そして、当時、宗門の教学部長で、後に第67世の法主日顕となる阿部信雄と、もう一人の僧侶がアメリカ各地を回り、授戒の儀式を行うことになる。
その最初の授戒の儀式が行われたのがハワイであり、会場もこのハワイ大会が開催された、カエワイ小学校の多目的ホールであった。
ところが、その時、阿部は、"御授戒"で使った御本尊を、こともあろうに、なんと会場の控室のトイレに置き忘れたのである。
もはや、この時、阿部は僧侶を名乗りながら、信仰心のかけらさえない、腐りきった本質を、自ら暴露したのである。
しかも、事件は、これだけではなかった。"出張御授戒"が行われたシアトルでの、阿部の破廉恥極まりない行為について、現地の責任者が、後年、証言することになるのである。
太字は 『新・人間革命』第7巻より
日系人が経営するホテルを会場に、教学部の任用試験と助師を対象にした昇格試験が行われた。
教学試験は、口頭試問で、日本語と英語に分かれて実施された。
担当の幹部は、日本では当然と思われていたことも、国が違えば考え直さなければならない問題がたくさんあることに気づいた。
広宣流布は、決して画一的な方法で進めることはできない。国情や文化、民族性などを深く理解し、その国、その地域に価値をもたらす方法を見極めていくことが大切になる。
「布教は、友の幸福を念じ、自分の信ずる思考の教えを、最高の生き方を教えていく、崇高な慈悲の行為です。ゆえに、布教をしていけば、真の友情と信頼が生まれます。」
「布教のなかにこそ、真実の仏道修行があり、人間革命がある。なぜならば布教は、自分の臆病な心や生命の弱さを打ち破るという、自己自身との戦いから始まるからです。」
「この弘教のなかにこそ、自らの人間革命があり、自身の、さらに社会の宿命を転換し、永遠の幸福と平和を築きゆく直道があります。」
「拡大の要諦は団結です。」
「私どもの信心は、どこまでも『法』が根本です。広宣流布という崇高な大目的を成就するために、みんなが心を合わせ、団結して活動を進めていく必要があるのです。」
「もし、中心者が嫌いだからとか、自分の方が信心が古いからといって、あの人のもとでは活動できないという人がいたならば、その人は『法』が根本ではなく、『人』に対する自分の感情が根本になっているんです。また、それは、わがままです。わがままは、自分の心に負け、信心の軌道を踏み外した姿です。」
「結局は、その人自身が不幸になります。反対に中心者を守れば、自分が守られる。これが因果の理法です。」
「ともかく、皆が同志として尊敬し、信頼し合って、また、足りない点は補い、守り合えれば、鉄の団結が生まれます。その団結が、最大の力になる。御書には『異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし』と仰せです。」
質問会のなかで、新入会のメンバーが増えているので、僧侶を派遣して、"出張御授戒"をしてほしいとの要望も出された。
日蓮仏法における戒律とは、受持即観心、受持即持戒であり、三大秘宝の御本尊を受持することが、そのまま戒律となる。
したがって、授戒といっても、その本義は、生涯、御本尊を受持し、信心に励んでいくとの誓いを立てることにこそる。つまり、授戒の儀式自体は、そのための形式といえる。
しかし、初代会長牧口常三郎は、正しい信心を始める"けじめ"をつけさせ、発心を固めさせる意味から、授戒の儀式を宗門に要請した。以来、入信に伴う儀式として"御授戒"が定着していったのである。
帰国後、直ちに"出張御授戒"のために、僧侶を派遣するよう、日達法主に要請している。
そして、当時、宗門の教学部長で、後に第67世の法主日顕となる阿部信雄と、もう一人の僧侶がアメリカ各地を回り、授戒の儀式を行うことになる。
その最初の授戒の儀式が行われたのがハワイであり、会場もこのハワイ大会が開催された、カエワイ小学校の多目的ホールであった。
ところが、その時、阿部は、"御授戒"で使った御本尊を、こともあろうに、なんと会場の控室のトイレに置き忘れたのである。
もはや、この時、阿部は僧侶を名乗りながら、信仰心のかけらさえない、腐りきった本質を、自ら暴露したのである。
しかも、事件は、これだけではなかった。"出張御授戒"が行われたシアトルでの、阿部の破廉恥極まりない行為について、現地の責任者が、後年、証言することになるのである。
太字は 『新・人間革命』第7巻より