『新・人間革命』第6巻 若鷲の章 P304~
<若鷲の章 始まる>
青年の夏が来た。伸一は、いよいよ学生部に対する、本格的な薫陶を開始する時が来たことを感じた。
彼はまず、『大白蓮華』4月号の巻頭言に「学生部に与う」を執筆した。
冒頭、学生部の使命が、広宣流布の「先駆」にあること明確にしたのだ。以来、この「先駆」が学生部の合言葉となり、誇り高き伝統となっていくのである。
この「学生部に与う」を目にした学生部員の衝撃は大きかった。山本会長の、自分たちへの限りない期待と、かけがえのない自己の使命を、皆、改めて知ったのである。
"ぼくらが広宣流布の先駆を切るのだ!"若き俊英たちの胸に、歓喜の火が燃え上がった。
使命の自覚は、人間を変え、無限の力を引き出していくものだ。
学生部部員1万の報告を受けた後、伸一は 学生部の代表と懇談会をもった。
学生の「知識人の学会批判が強まっていることにたいし、どのように対処したらよいか」との質問に、
「批判は、これまでもあったじゃないか、相手が知識人だからといって、何も恐れることはありません。批判に誤りがあれば、君たち学生部が正していけばいいんです。どうすればいいかではない。君たちが同志のために立ち上がるのです。」
「知識人、あるいは評論家という人の多くは、その発言をよく聞いてみると、定見がありません。それは、学会の真実を知らないで、流言飛語を鵜呑みにし、憶測でものを言っているからです。」
「それに対して、学会には定見がある。大哲学があるからです。しかも、実際にその哲学を実践し、多くの民衆に貢献するという実証を示してきた。私たちは、口先だけの無責任な傍観者ではない。」
「行動者です。だから学会は強いし、どんな批判もそれを打ち破っていくことができる。あとは、君たちが自身をもって、堂々と見事な論陣を張っていくことです」と確信に満ちた言葉が返ってきた。
7月17日、山本伸一は、三たび、沖縄の天地に立った。この日は、五年前に、選挙違反の容疑で大阪府警に不当逮捕された彼が、出獄した日である。また、二年前に、伸一が出席して、沖縄支部の結成大会が行われた日でもあった。
待望久しかった沖縄本部が完成し、翌18日には、山本会長が出席して、落成式が行われることになっていたのである。
伸一は、幹部の任命式が終わると、すぐに沖縄本部の屋上に上がった。場外の人たちのことが気になっていたのである。まだ、多くの人達が、名残惜しく立ち去りかねていたのである。
伸一は、凛とした声で語り始めた。「沖縄は、あの太平洋戦争で、本土防衛の捨て石にされ、多くの方々が犠牲になられた。しかし、創価学会の広宣流布の戦いには、誰びとたりとも、また、一人たりとも犠牲はありません。すべての人が、最後は必ず幸福になれるのが、日蓮大聖人の仏法です。楽しく、愉快に、幸せを満喫しながら、この沖縄を楽土に転じていこうではありませんか」
『沖縄健児の歌』を皆で歌い、指揮をとる伸一。
南国の直射日光を浴びた沖縄本部の屋上のコンクリートは、焼けつくように熱かった。炎天下で、指揮をとる伸一の体には、たちまち滝のように汗が流れた。
熱唱する、日焼けした沖縄の同志の頬には、涙が光っていた。山本会長の姿に、自分たちのために命をかけて戦おうとする、気迫と真心を、感じ取っていたからである。
「お元気で、また、お会いしましょう!」この一曲の歌の指揮が、どれほど沖縄の同志を元気づけ、勇気づけたか計り知れなかった。その姿は、心の映像となって、同志の胸に、永遠に焼きついていったのである。
人の心の琴線に共鳴の調べをもたらすものーそれは、"真剣"という魂の発信音である。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋
<若鷲の章 始まる>
青年の夏が来た。伸一は、いよいよ学生部に対する、本格的な薫陶を開始する時が来たことを感じた。
彼はまず、『大白蓮華』4月号の巻頭言に「学生部に与う」を執筆した。
冒頭、学生部の使命が、広宣流布の「先駆」にあること明確にしたのだ。以来、この「先駆」が学生部の合言葉となり、誇り高き伝統となっていくのである。
この「学生部に与う」を目にした学生部員の衝撃は大きかった。山本会長の、自分たちへの限りない期待と、かけがえのない自己の使命を、皆、改めて知ったのである。
"ぼくらが広宣流布の先駆を切るのだ!"若き俊英たちの胸に、歓喜の火が燃え上がった。
使命の自覚は、人間を変え、無限の力を引き出していくものだ。
学生部部員1万の報告を受けた後、伸一は 学生部の代表と懇談会をもった。
学生の「知識人の学会批判が強まっていることにたいし、どのように対処したらよいか」との質問に、
「批判は、これまでもあったじゃないか、相手が知識人だからといって、何も恐れることはありません。批判に誤りがあれば、君たち学生部が正していけばいいんです。どうすればいいかではない。君たちが同志のために立ち上がるのです。」
「知識人、あるいは評論家という人の多くは、その発言をよく聞いてみると、定見がありません。それは、学会の真実を知らないで、流言飛語を鵜呑みにし、憶測でものを言っているからです。」
「それに対して、学会には定見がある。大哲学があるからです。しかも、実際にその哲学を実践し、多くの民衆に貢献するという実証を示してきた。私たちは、口先だけの無責任な傍観者ではない。」
「行動者です。だから学会は強いし、どんな批判もそれを打ち破っていくことができる。あとは、君たちが自身をもって、堂々と見事な論陣を張っていくことです」と確信に満ちた言葉が返ってきた。
7月17日、山本伸一は、三たび、沖縄の天地に立った。この日は、五年前に、選挙違反の容疑で大阪府警に不当逮捕された彼が、出獄した日である。また、二年前に、伸一が出席して、沖縄支部の結成大会が行われた日でもあった。
待望久しかった沖縄本部が完成し、翌18日には、山本会長が出席して、落成式が行われることになっていたのである。
伸一は、幹部の任命式が終わると、すぐに沖縄本部の屋上に上がった。場外の人たちのことが気になっていたのである。まだ、多くの人達が、名残惜しく立ち去りかねていたのである。
伸一は、凛とした声で語り始めた。「沖縄は、あの太平洋戦争で、本土防衛の捨て石にされ、多くの方々が犠牲になられた。しかし、創価学会の広宣流布の戦いには、誰びとたりとも、また、一人たりとも犠牲はありません。すべての人が、最後は必ず幸福になれるのが、日蓮大聖人の仏法です。楽しく、愉快に、幸せを満喫しながら、この沖縄を楽土に転じていこうではありませんか」
『沖縄健児の歌』を皆で歌い、指揮をとる伸一。
南国の直射日光を浴びた沖縄本部の屋上のコンクリートは、焼けつくように熱かった。炎天下で、指揮をとる伸一の体には、たちまち滝のように汗が流れた。
熱唱する、日焼けした沖縄の同志の頬には、涙が光っていた。山本会長の姿に、自分たちのために命をかけて戦おうとする、気迫と真心を、感じ取っていたからである。
「お元気で、また、お会いしましょう!」この一曲の歌の指揮が、どれほど沖縄の同志を元気づけ、勇気づけたか計り知れなかった。その姿は、心の映像となって、同志の胸に、永遠に焼きついていったのである。
人の心の琴線に共鳴の調べをもたらすものーそれは、"真剣"という魂の発信音である。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋