『新・人間革命』第6巻 波浪の章 P277~
議員のメンバーが、私利私欲に走り、腐敗堕落するなら、彼らを政界に送り出した意味も、公明政治連盟を結成した意味もなくなってしまう。だから、伸一は、未来への警鐘として あえて厳しく言った。
伸一は、この勝利が各政党などに脅威を与え、大きな波紋を呼ぶであろうことを覚悟していた。
労働組合の幹部たちは、学会の躍進に対して大きな脅威をいだいていたことは確かであったようだ。事実、この参院選挙をきっかけとして、一部の労働組合は、組合に所属する学会員に、陰湿な圧迫を加えてきた。
なかでも、秋田の尾去沢鉱山と長崎・佐世保の中里炭鉱の労働組合では、それが実際に「組合除名」となって、あらわれたのである。
秋田県の北部にある、尾去沢鉱山は、日本の三大鉱山の一つとして名高く、日本有数の歴史と規模をもつ鉱山であった。この鉱山の組合で、除名事件が起こったのである。
参院選挙の全国区で、公明政治連盟の関久男は 26位で当選を果たしたのに対し、鉱山の労働組合が押した革新政党の候補は、大接戦の末、次点と約1700票差で、かろうじて最下位当選した。
この肝を冷やすような大苦戦と、学会員が指示した関の町内からの意外な高得票は、尾去沢鉱山の労組の幹部にとって看過できない事態と映ったようだ。
尾去沢鉱山の労働組合は、全国組織の全鉱のなかでも重きをなし、力も強かった。その組合の幹部が、学会員の支援活動に恐れをいだき、このままいけば、労組の基盤が揺るがされるとの、強い危機感を募らせたのである。
参院選挙が終わった直後学会の地区部長をしている山尾久也と言う壮年が組合事務所に呼ばれ、組合の統制委員会にかけられた。
山尾は、温厚な人物で、20年ほどこの鉱山で仕事をしてきたベテラン鉱員であり、町議会議員も務め、周囲の人びとの信頼も厚かった。
彼らは、参院選挙のことには触れず、彼の町会議員としての所属政党のことで追及してきた。組合側は 社会党に入るように進めたが、それを拒否したから組合の統制を破ったというのである。
全鉱の幹部が、恫喝するかのように山尾に言った。「組合の組織につかんもんは、やめてしまえ!」
この前日にも本郷という学会員が組合事務所に呼ばれ、統制委員会にかけられていた。本郷が選挙の折、戸別訪問をしてしまい、罰金刑となったことを指摘し、組合の名を汚したので"今後、創価学会とは手を切る"というを書けば、穏便にすませてやろうと迫ったのだ。
学会員が組合推薦の候補者を支援しなかったことを理由にすれば、「信教の自由」や「選挙活動の自由」に抵触することを懸念し、別の処分の口実を考えたのであろう。
尾去沢鉱山では、ユニオン・ショップ制をとっていたため、従業員は組合員でなければならず、組合から除名され、組合員の資格を失えば、会社からも解雇されることになる。本来、ユニオン・ショップ制は、労働者が団結して雇用者と交渉するために生まれたものだ。それを逆手に取って組合は、学会員の労働者のクビを切ろうとしているのである。
夫の話を聞くと、気丈な性格の妻のミヤは、「こっちは、なあんも悪いごどしてねぇ。クビにするならしてみれ!父さん遂に、来るべきもんが来たな。『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起こる』だものな・・・。こんなごどで、負げでなんかいられね」と怒りを含んだ声で言った。
ミヤのその言葉は、久也にとって最大の励ましであった。「おれをクビにしたら、このヤマの学会員は、みんな恐れで、信心をやめるど思ってるんだ・・・。そんなごどにならねぇ」
「山本先生も 5月に仙台に来られだ時、広宣流布の前進には、必ず大難が起ごるって言われだ。おれだちの信心も、ようやく一人前になったのかもしれないな」
尾去沢のヤマで働く仲間たちは、それぞれが、それぞれの悩みをかかえていた。病苦、体の不自由な子供をもつ親の悩み、家庭不和、あるいは、夫が稼ぎを博打や酒に注ぎ込み、貧乏暮らしに喘ぐ家族もいた。
皆の悩みの一つ一つは、組合活動による労働条件の改善だけでは癒し難い苦悩であった。
"この仲間を幸福にするのが、おれだちの使命だ"
山尾は、この尾去沢の鉱山を愛し、ともに働く仲間たちを愛していた。夫婦の相手を思う真剣な対話に、信心を始める人が次第に増え始めた。このころには、同志は、尾去沢の街で、120~30世帯を数えるほどになっていた。
こうして燃え広がった信仰の火が、今、激しい嵐にさらされようとしていたのである。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋
議員のメンバーが、私利私欲に走り、腐敗堕落するなら、彼らを政界に送り出した意味も、公明政治連盟を結成した意味もなくなってしまう。だから、伸一は、未来への警鐘として あえて厳しく言った。
伸一は、この勝利が各政党などに脅威を与え、大きな波紋を呼ぶであろうことを覚悟していた。
労働組合の幹部たちは、学会の躍進に対して大きな脅威をいだいていたことは確かであったようだ。事実、この参院選挙をきっかけとして、一部の労働組合は、組合に所属する学会員に、陰湿な圧迫を加えてきた。
なかでも、秋田の尾去沢鉱山と長崎・佐世保の中里炭鉱の労働組合では、それが実際に「組合除名」となって、あらわれたのである。
秋田県の北部にある、尾去沢鉱山は、日本の三大鉱山の一つとして名高く、日本有数の歴史と規模をもつ鉱山であった。この鉱山の組合で、除名事件が起こったのである。
参院選挙の全国区で、公明政治連盟の関久男は 26位で当選を果たしたのに対し、鉱山の労働組合が押した革新政党の候補は、大接戦の末、次点と約1700票差で、かろうじて最下位当選した。
この肝を冷やすような大苦戦と、学会員が指示した関の町内からの意外な高得票は、尾去沢鉱山の労組の幹部にとって看過できない事態と映ったようだ。
尾去沢鉱山の労働組合は、全国組織の全鉱のなかでも重きをなし、力も強かった。その組合の幹部が、学会員の支援活動に恐れをいだき、このままいけば、労組の基盤が揺るがされるとの、強い危機感を募らせたのである。
参院選挙が終わった直後学会の地区部長をしている山尾久也と言う壮年が組合事務所に呼ばれ、組合の統制委員会にかけられた。
山尾は、温厚な人物で、20年ほどこの鉱山で仕事をしてきたベテラン鉱員であり、町議会議員も務め、周囲の人びとの信頼も厚かった。
彼らは、参院選挙のことには触れず、彼の町会議員としての所属政党のことで追及してきた。組合側は 社会党に入るように進めたが、それを拒否したから組合の統制を破ったというのである。
全鉱の幹部が、恫喝するかのように山尾に言った。「組合の組織につかんもんは、やめてしまえ!」
この前日にも本郷という学会員が組合事務所に呼ばれ、統制委員会にかけられていた。本郷が選挙の折、戸別訪問をしてしまい、罰金刑となったことを指摘し、組合の名を汚したので"今後、創価学会とは手を切る"というを書けば、穏便にすませてやろうと迫ったのだ。
学会員が組合推薦の候補者を支援しなかったことを理由にすれば、「信教の自由」や「選挙活動の自由」に抵触することを懸念し、別の処分の口実を考えたのであろう。
尾去沢鉱山では、ユニオン・ショップ制をとっていたため、従業員は組合員でなければならず、組合から除名され、組合員の資格を失えば、会社からも解雇されることになる。本来、ユニオン・ショップ制は、労働者が団結して雇用者と交渉するために生まれたものだ。それを逆手に取って組合は、学会員の労働者のクビを切ろうとしているのである。
夫の話を聞くと、気丈な性格の妻のミヤは、「こっちは、なあんも悪いごどしてねぇ。クビにするならしてみれ!父さん遂に、来るべきもんが来たな。『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起こる』だものな・・・。こんなごどで、負げでなんかいられね」と怒りを含んだ声で言った。
ミヤのその言葉は、久也にとって最大の励ましであった。「おれをクビにしたら、このヤマの学会員は、みんな恐れで、信心をやめるど思ってるんだ・・・。そんなごどにならねぇ」
「山本先生も 5月に仙台に来られだ時、広宣流布の前進には、必ず大難が起ごるって言われだ。おれだちの信心も、ようやく一人前になったのかもしれないな」
尾去沢のヤマで働く仲間たちは、それぞれが、それぞれの悩みをかかえていた。病苦、体の不自由な子供をもつ親の悩み、家庭不和、あるいは、夫が稼ぎを博打や酒に注ぎ込み、貧乏暮らしに喘ぐ家族もいた。
皆の悩みの一つ一つは、組合活動による労働条件の改善だけでは癒し難い苦悩であった。
"この仲間を幸福にするのが、おれだちの使命だ"
山尾は、この尾去沢の鉱山を愛し、ともに働く仲間たちを愛していた。夫婦の相手を思う真剣な対話に、信心を始める人が次第に増え始めた。このころには、同志は、尾去沢の街で、120~30世帯を数えるほどになっていた。
こうして燃え広がった信仰の火が、今、激しい嵐にさらされようとしていたのである。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋