『新・人間革命』第6巻 加速の章 P216~
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋
会長就任2周年の5月3日を 布教の大勝利をもって迎えようーそれが全同志の決意であった。
潮が満ちるように、弘教の歓喜の波は広がっていたのである。
潮が満ちるように、弘教の歓喜の波は広がっていたのである。
会員の世帯は、2年前の140万世帯から260万世帯へと、2倍近い発展を示していた。
この二年間は、伸一の構想通りの広宣流布の伸展であり、大勝利の歩みであったことは間違いない。
では、その流れを、さらに確実なものにしていくために、いかなる指導性が求められるのかを、伸一は考え続けた。
1962年5月3日 東京・両国の日大講堂で会長就任2周年の第24回総会が開催された。
ヨーロッパ連絡責任者の川崎鋭治が海外会員を代表して、あいさつに立った。
山本伸一は、川崎が広宣流布のリーダーとして、たくましく育ちつつあることを喜び、真っ先に拍手を送った。
伸一は命の限り、世界の各地に、平和と友情の広布の道を開き続ける決意でいた。しかし、その道を歩み、整え、さらに広げる人がいなければ、再び草に埋もれてしまうことになる。だから、彼は、ヨーロッパの地にあって、川崎が立ち上がったことが、うれしくてならなかったのである。
伸一は、自分がいなくなったならば、広宣流布はどうなるかということを、常に考え続けていた。
彼は、まだ34歳ではあったが、もともと病弱なうえに、一瞬一瞬、全力で疾走するかのように動き続けているだけに、いつ倒れてもおかしくはなかったからだ。
それゆえに、伸一は、人材を欲していた。人材を見つけ、育てることに最大の力を注ぎ、人と会えば、一期一会の思いで、全魂を傾けて激励し抜いた。
日達法主が講演のなかで、総本山に建設が進められている大客殿が、この常寂光の浄土の姿であると語り、参加者に、僧俗一致して広宣流布の願業に邁進しようと呼びかけ、話を結んだ。
集ったメンバーは、供養の喜びと感激を噛み締めた。宗門は、自分たちの真心で寄進した大客殿を、永遠に宝塔としてたたえ、大切にしてくれるにちがいないー大聖人の信徒たる創価の同志は、誰もがそう信じた。誰もがそう確信していた。
この総会には、当時宗門の教学部長で、後に67世の法主となり、大客殿を取り壊した阿部信雄、すなわち日顕も出席し、壇上に座っていたはずである。
彼が、日蓮正宗の僧侶として師と仰ぐべき日達法主の講演を、いかなる思いで聞いていたのかは知るよしもない。
しかし、日達法主の時代に学会が寄進した総本山の建物を次々と取り壊し、その功績を否定する彼の行為は、師への重大な背反であることは断じて間違いない。
会長講演で 伸一は、感謝の意を表したあと、会長就任3周年への出発の決意を、力強く語った。
そして、仏法と文化の関係に言及していった。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋