『新・人間革命』第5巻 勝利の章 P270~
太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋
東京で深夜まで執務を続ける山本伸一。
午前2時過ぎ、アメリカ総支部長の十条から電話が入った。
ハワイから7名、ロサンゼルスからの2名に加え、総員69名が勢ぞろいし、
宿泊所へ向かったとのことだった。
最高齢80歳の女性を始め、全員元気いっぱいとの報告だった。
翌日学会本部にやってきたメンバーは、伸一を見ると 大粒の涙を流した。
1年前、伸一のアメリカ訪問以来の再会である。
メンバーの多くは国際結婚をして、アメリカに渡り、
日本に帰ることなどできないと思っていた人がほとんどであった。
それが、伸一の指導を聞いて、考えを新たにし、"来年は日本でお会いしましょう"との、彼の言葉を目標とし、希望として、この日をめざして、懸命に信心に励んできたのである。
日本に行くといっても、休みをとるのも、その費用を捻出するのも並大抵のことではなかった。
一朝一夕に工面できる人などほとんどいなかった。
それでも、ともかく日本に来て、会長の伸一をはじめ、日本の同志に会い、日本の信仰の息吹に触れたかったのである。メンバーは、熱い求道の心を燃やしながら、生活費を切り詰め、仕事に励み、旅費を蓄え、遂に、飛行機に乗った。
“日本に行こう。そして、山本先生との約束を果たそう”
ーただただ、その一念で太平洋を渡って来たのである。
伸一は
「皆さんは、勝った!私は、皆さんは、広宣流布のために自由自在に活躍できる境涯の因をつくられたと、確信しております。」と語った。
伸一から「皆さんは勝った!」との言葉を聞いた瞬間、アメリカの友の胸に、一筋の黄金の光が走った。
メンバーは、ただ日本に行きたいという一心で、この一年間、頑張りに頑張り抜いてきた。しかし、振り返ってみると、異境の地で埋もれていくだけのように思っていた自分たちが、いつの間にか希望に燃え、友の幸福のために、夢中になって、アメリカの大地を駆け巡っていたのである。
そして、信心を根本に努力を重ねていけば、どんな境涯にもなれ、崩れざる幸福を築けることを、皆、実感していた。そこには、目には見えないが、確かに大きな精神の勝利があった。
11月の本部幹部会の席上、明年の「勝利の年」の活動方針が打ち出された。
この日、指導に立った伸一は、大阪事件の裁判に触れた。
「大聖人の御金言を拝しましても、広宣流布の途上において、三類の強敵が競い起こることは間違いありません。また、民衆を組織し、民衆の時代を創ろうとする創価学会に対し、民衆を支配しようとする権力が、今のうちに弾圧し、力を弱めさせようとするのも、当然といえましょう。」
「だが、権力がいかに牙をむこうとも、私たちの崇高な理想を、信心を、破壊することは絶対にできないという大信念をもって、堂々と、朗らかに前進していこうではありませんか。」
「ともあれ、無実であるにもかかわらず、何か大きな犯罪行為があるかのように喧伝し、罪に陥れようとすることは、古来、権力者の常套手段であります。今回の裁判は、長い広宣流布の戦いを思えば、さざ波のような小難にすぎません。。今後も、こうしたことは、幾度となくあるでしょう。しかし、何も恐れることはありません。」
12月に入ると、山本伸一の動きは、一層激しさを増した。
大阪事件の裁判に出廷した伸一は、意見陳述で、検察の横暴を突いていった。
学会が選挙運動を行うのは、憲法で保障された国民の権利であり、それを否定するような検察の求刑には、明らかに偏見があると指摘。
さらに、従来、戸別訪問は罰金刑等の軽い刑であるにもかかわらず、地検の禁固という求刑は、はなはだ過酷であると述べるとともに、その取り調べも非道であり、権力をカサに着た弱い者いじめのような
やり方は、断じて許しがたいものであると語った。
無実の者に、罪を着せようとする、不当な検察に対する鋭い反論であり、伸一の正義の叫びであった。
<勝利の章 終了>
午前2時過ぎ、アメリカ総支部長の十条から電話が入った。
ハワイから7名、ロサンゼルスからの2名に加え、総員69名が勢ぞろいし、
宿泊所へ向かったとのことだった。
最高齢80歳の女性を始め、全員元気いっぱいとの報告だった。
翌日学会本部にやってきたメンバーは、伸一を見ると 大粒の涙を流した。
1年前、伸一のアメリカ訪問以来の再会である。
メンバーの多くは国際結婚をして、アメリカに渡り、
日本に帰ることなどできないと思っていた人がほとんどであった。
それが、伸一の指導を聞いて、考えを新たにし、"来年は日本でお会いしましょう"との、彼の言葉を目標とし、希望として、この日をめざして、懸命に信心に励んできたのである。
日本に行くといっても、休みをとるのも、その費用を捻出するのも並大抵のことではなかった。
一朝一夕に工面できる人などほとんどいなかった。
それでも、ともかく日本に来て、会長の伸一をはじめ、日本の同志に会い、日本の信仰の息吹に触れたかったのである。メンバーは、熱い求道の心を燃やしながら、生活費を切り詰め、仕事に励み、旅費を蓄え、遂に、飛行機に乗った。
“日本に行こう。そして、山本先生との約束を果たそう”
ーただただ、その一念で太平洋を渡って来たのである。
伸一は
「皆さんは、勝った!私は、皆さんは、広宣流布のために自由自在に活躍できる境涯の因をつくられたと、確信しております。」と語った。
伸一から「皆さんは勝った!」との言葉を聞いた瞬間、アメリカの友の胸に、一筋の黄金の光が走った。
メンバーは、ただ日本に行きたいという一心で、この一年間、頑張りに頑張り抜いてきた。しかし、振り返ってみると、異境の地で埋もれていくだけのように思っていた自分たちが、いつの間にか希望に燃え、友の幸福のために、夢中になって、アメリカの大地を駆け巡っていたのである。
そして、信心を根本に努力を重ねていけば、どんな境涯にもなれ、崩れざる幸福を築けることを、皆、実感していた。そこには、目には見えないが、確かに大きな精神の勝利があった。
11月の本部幹部会の席上、明年の「勝利の年」の活動方針が打ち出された。
この日、指導に立った伸一は、大阪事件の裁判に触れた。
「大聖人の御金言を拝しましても、広宣流布の途上において、三類の強敵が競い起こることは間違いありません。また、民衆を組織し、民衆の時代を創ろうとする創価学会に対し、民衆を支配しようとする権力が、今のうちに弾圧し、力を弱めさせようとするのも、当然といえましょう。」
「だが、権力がいかに牙をむこうとも、私たちの崇高な理想を、信心を、破壊することは絶対にできないという大信念をもって、堂々と、朗らかに前進していこうではありませんか。」
「ともあれ、無実であるにもかかわらず、何か大きな犯罪行為があるかのように喧伝し、罪に陥れようとすることは、古来、権力者の常套手段であります。今回の裁判は、長い広宣流布の戦いを思えば、さざ波のような小難にすぎません。。今後も、こうしたことは、幾度となくあるでしょう。しかし、何も恐れることはありません。」
12月に入ると、山本伸一の動きは、一層激しさを増した。
大阪事件の裁判に出廷した伸一は、意見陳述で、検察の横暴を突いていった。
学会が選挙運動を行うのは、憲法で保障された国民の権利であり、それを否定するような検察の求刑には、明らかに偏見があると指摘。
さらに、従来、戸別訪問は罰金刑等の軽い刑であるにもかかわらず、地検の禁固という求刑は、はなはだ過酷であると述べるとともに、その取り調べも非道であり、権力をカサに着た弱い者いじめのような
やり方は、断じて許しがたいものであると語った。
無実の者に、罪を着せようとする、不当な検察に対する鋭い反論であり、伸一の正義の叫びであった。
<勝利の章 終了>
太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋