『新・人間革命』第4巻 青葉の章 P207~


「世界を友情で結べ」
山本伸一は 学生部の会合で 語った。


仏法は、人間の善性を開発し、人への思いやりと同苦の心を育む。
それゆえに仏法者の行くところには、友情の香しき花が咲くのである。

そして、布教も、その友情の、自然な発露にほかならない。


この総会に集った学生部員の多くは、口角泡を飛ばして宗教を論ずることのみが、
仏法者の姿であると思っていた。もちろん、教えの正邪を決するうえでは、
それも必要なことではあるが、一面にすぎない。


伸一は、時代を担う若き俊英たちが、宗教のため人間があるかのように錯覚し、
偏狭な考えに陥ることを心配していた。柔軟にして、大会のような広い心をもってこそ、
まことの仏法者であるからだ。
彼は、学生部という若木をおおらかに、すくすくと育てたかった。


伸一は、男子部総会で、今後のために労働運動に対する学会の基本的な態度を明らかにした。
「学会員は、労働運動をやってはいけないように思うのは錯覚です。
 当然、やることはいっさい自由です。」


「信心を根本として、それぞれの職場にあって、労働者を守るために、労働運動を展開し、
ある場合には、組合長や委員長、書記長となっていくことも、いっこうにかまいません。
社会のあらゆる事柄を人間の幸福のために、機能させていくことが、広宣流布運動であるからです」


伸一は、仏法は、人間を一つの枠のなかに閉じ込めておくような、偏狭なものではないことを、教えておきたかった。社会のため、人間のために、主体的に行動し、貢献するなかに、仏法の実践もある。


北の大地に 咲いた嵐桜 北海道女子部長の 嵐山春子は 胸を病んでいた。
やつれた姿に、伸一は 会合の参加を控えるように諭す。

「北海道のためにも、後輩のためにも、健康になって生きて生きて、生き抜いてほしい。
 それが私の願いだ」と話す。

嵐山は、清楚ななかに、芯の強さを秘めた女性であった。
父親は、戦死していて、子どものころから、働きながら学校に通い高校を卒業していた。

入会して1年に満たなかったが、銀行に勤めながら、学会活動に励んでいた。
汽車に揺られ、雪を掻き分けて歩き、羽幌へ、増毛へと、友のために足を運んだ。
猛り狂う吹雪も、雪を舞い上げる、身を切るような北風も、彼女はものともしなかった。
ただ広布、ただ、ただ広布に青春をかけた。

嵐山は、人への温かな思いやりがあった。喘息で入院しているお年寄りがいた。
家族が見舞いに来ることも、ほとんどない人であった。彼女はその人と知り合いになると、毎日病院を訪ね、励ましの言葉をかけた。
そして、病室に花を飾り、栄養価の高い食べ物をそっと枕元に置いて帰ってくるのである。

その嵐山の体も、以前から、結核に置かされていたのである。咳込み、痰に苦しみ、微熱にさいなまれながらの毎日であった。

しかし、彼女は、人と接するときには、そんなことは少しも感じさせなかった。いつも、笑顔で友を包み、一生懸命に仏法を語り、温かく励ましていったのである。

やがて、彼女の広布の活動の舞台は札幌に移る。仕事と学会活動の問題では、相当悩んでいたが、時間をやりくりしては、活動に飛び出し、北の大地に広布の春風を巻き起こしていった。


皆、彼女を姉のようにしたい、札幌の女子部は飛躍的に発展した。
伸一が北海道に行くと、嵐山は体当たりするように指導を求めた。
しかも、自分だけでなく次々と新しい人材を伸一に引き合わせた。


皆の成長のために、自分は何をすべきかを、彼女は、いつも考え行動していた。
それがリーダーの姿勢である。


大阪事件が起きると、怒りと悔しさに打ち震えながら、伸一の正義を証明するには、広宣流布を進め、民衆の勝利の旗を翻すことだと、彼女は深く思った。
“私は戦う!断じて、すべての戦いに勝とう。勝利なくして、正義の証明はないのだもの”


気分の高揚から、その場限りの決意を語る人もいる。しかし、それは空しい言葉の遊びにすぎない。
嵐山の言葉には、決定した誓いの一念があった。そして、すべてに実証をもって応えた。そこにこそ、人間の真実がある。


<青葉の章終了>


太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋