『新・人間革命』第4巻 凱旋の章 P139~
1961年(昭和36年)5月3日
伸一の会長就任1周年となる本部総会が東京・両国の日大講堂で開催された。
伸一は、一年前の総会で、この同じ会場で、「若輩ではございますが、本日より、
戸田門下生を代表して化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらせていただきます」
と宣言し、新会長として、スタートを切った。
その一歩は、激闘の365日であったが、広布の未聞の歴史を開く、大飛躍の一歩となった。
そして、今、再びここに戻ってきたのである。
それは、まさに広宣流布の大勝利を飾っての凱旋であった。
山本会長誕生の喜びは、全国に折伏の波動となって広がり、就任3か月後の、前年の8月には、
1か月で6万7千384世帯という過去最高の折伏成果を記録。
現在、学会の総世帯は 191万余となり、200万世帯の達成は目前に迫ったのである。
また、支部は61支部から139支部へと発展した。海外でも、ロサンゼルスと
ブラジルに支部が結成され、アジアでは香港に地区が誕生。広布の新時代を画したのである。
さらに、教学の大旋風が巻き起こり、教学試験の受験者は12万数千人に上った。
その結果、教授から助師までの教学陣は、4万人を突破するに至った。
一方、新寺院の建立も着々と進み、既に6カ寺が建立され、7月中には、移転新築も含め、
さらに6カ寺が完工の運びとなっていた。また、この時点で、
新たに30カ寺ほどの寺院の建立が予定されており、
土地の選定も、ほぼ終了していたのである。
すべてが、何年分にも相当する大事業であり、広布の大伸展といえた。
青年部長の秋月英介の抱負は、学会の推進力たる青年部が、
時代、社会に仏法思想のうねりを巻き起こそうとする、先駆けの気概にあふれていた。
秋月は、この1年間で、女子部が部員数12万から18万に、男子部は 18万から25万となり、
青年部は 部員43万へと未曽有の飛躍を遂げたことを紹介した。
そして、戸田城聖が青年に贈った「国士訓」に触れて、次のように語った。
「『国士訓』の中で、戸田先生は『青年よ、一人立て!二人は必ず立たん、
三人はまた続くであろう。かくして、国に10万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、
火を見るよりも明らかである』と述べられております。」
「このお言葉のごとく、一人立たれた青年が、会長山本先生でございます。そして、
その後に続くのが、私たち青年部であります。」
「その時は、今まさに到来いたしました。私たちは、いよいよ戸田先生のお言葉を実践し、
苦悩する民衆を救う国士10万の結集を、断固、行ってまいる決意でございます。」
伸一は、青年たちが、戸田城聖の言葉を、決して虚妄にすることなく、
実現しようとする心意気が、何よりも嬉しかった。
アメリカでは、山本会長が訪米した時は、会員は300世帯ほどにすぎなかったが、
以来、同志は広宣流布への決意に燃えて立ち上がり、これまでに350世帯の人を折伏。
また、渡米する学会員も増え、現在では、1500世帯の同志が、活動に励んでいるという。
建設には、希望があり、躍動がある。伸一の会長就任以来の学会の前進は、まさに、
澄み渡る大空に若鷲が舞い上がるように、希望の天空へ人びとをいざなう、飛翔の日々であった。
思えば、瞬く間の一年であった。
なすべきことはあまりにも多く、激闘に次ぐ激闘の日々であったが、それによって、
広布の未曽有の上げ潮がつくられたのである。彼は、確かな勝利の手応えを感じることができた。
伸一は、戸田の弟子らしく、高らかに凱歌を奏で、ここに凱旋したのである。
太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋
<凱旋の章 終了>
1961年(昭和36年)5月3日
伸一の会長就任1周年となる本部総会が東京・両国の日大講堂で開催された。
伸一は、一年前の総会で、この同じ会場で、「若輩ではございますが、本日より、
戸田門下生を代表して化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらせていただきます」
と宣言し、新会長として、スタートを切った。
その一歩は、激闘の365日であったが、広布の未聞の歴史を開く、大飛躍の一歩となった。
そして、今、再びここに戻ってきたのである。
それは、まさに広宣流布の大勝利を飾っての凱旋であった。
山本会長誕生の喜びは、全国に折伏の波動となって広がり、就任3か月後の、前年の8月には、
1か月で6万7千384世帯という過去最高の折伏成果を記録。
現在、学会の総世帯は 191万余となり、200万世帯の達成は目前に迫ったのである。
また、支部は61支部から139支部へと発展した。海外でも、ロサンゼルスと
ブラジルに支部が結成され、アジアでは香港に地区が誕生。広布の新時代を画したのである。
さらに、教学の大旋風が巻き起こり、教学試験の受験者は12万数千人に上った。
その結果、教授から助師までの教学陣は、4万人を突破するに至った。
一方、新寺院の建立も着々と進み、既に6カ寺が建立され、7月中には、移転新築も含め、
さらに6カ寺が完工の運びとなっていた。また、この時点で、
新たに30カ寺ほどの寺院の建立が予定されており、
土地の選定も、ほぼ終了していたのである。
すべてが、何年分にも相当する大事業であり、広布の大伸展といえた。
青年部長の秋月英介の抱負は、学会の推進力たる青年部が、
時代、社会に仏法思想のうねりを巻き起こそうとする、先駆けの気概にあふれていた。
秋月は、この1年間で、女子部が部員数12万から18万に、男子部は 18万から25万となり、
青年部は 部員43万へと未曽有の飛躍を遂げたことを紹介した。
そして、戸田城聖が青年に贈った「国士訓」に触れて、次のように語った。
「『国士訓』の中で、戸田先生は『青年よ、一人立て!二人は必ず立たん、
三人はまた続くであろう。かくして、国に10万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、
火を見るよりも明らかである』と述べられております。」
「このお言葉のごとく、一人立たれた青年が、会長山本先生でございます。そして、
その後に続くのが、私たち青年部であります。」
「その時は、今まさに到来いたしました。私たちは、いよいよ戸田先生のお言葉を実践し、
苦悩する民衆を救う国士10万の結集を、断固、行ってまいる決意でございます。」
伸一は、青年たちが、戸田城聖の言葉を、決して虚妄にすることなく、
実現しようとする心意気が、何よりも嬉しかった。
アメリカでは、山本会長が訪米した時は、会員は300世帯ほどにすぎなかったが、
以来、同志は広宣流布への決意に燃えて立ち上がり、これまでに350世帯の人を折伏。
また、渡米する学会員も増え、現在では、1500世帯の同志が、活動に励んでいるという。
建設には、希望があり、躍動がある。伸一の会長就任以来の学会の前進は、まさに、
澄み渡る大空に若鷲が舞い上がるように、希望の天空へ人びとをいざなう、飛翔の日々であった。
思えば、瞬く間の一年であった。
なすべきことはあまりにも多く、激闘に次ぐ激闘の日々であったが、それによって、
広布の未曽有の上げ潮がつくられたのである。彼は、確かな勝利の手応えを感じることができた。
伸一は、戸田の弟子らしく、高らかに凱歌を奏で、ここに凱旋したのである。
太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋
<凱旋の章 終了>