『新・人間革命』第4巻 春嵐の章 P62~
村八分事件は、社会的に見れば、日本という国の、未成熟な民主主義と
人権感覚を物語るものであったといってよい。
古来、日本には土俗的な氏神信仰があり、地域の共同体と宗教とが、
密接に結びついてきた。
江戸時代になると、幕府の宗教政策によって寺檀制度がつくられ、
寺院によって民衆が管理されるようになった。
そのなかで、寺院の言うがままに従うことが、本来の人間の道であるかのような意識が、
人びとに植えつけられていった。
明治以降、神社神道が、事実上、国教化されたことで、神社はもとより、
宗教への従属意識は、ますます強まっていった。
地域の寺院や神社に従わなければ、罪悪とするような日本人の意識の傾向は、
いわば、政治と宗教が一体となり、民衆を支配してきた、日本の歴史のなかで、
培われてきたものといえよう。
戦後、日本国憲法で信教の自由が 法的にも認められても国民の意識は変わらなかった。
そして、昔からの地域の寺院神社への寄付や宗教行事への参加が、
すべての地域住民の義務であるかのように考えられてきた。
なぜ、人びとは民主主義を口にしながらも 旧習から脱することができなかったのか。
それは、民主主義の基本となる「個」の確立がなされていなかったからにほかならない。
一人ひとりの「個」の確立がなければ、社会の制度は変わっても、精神的には、
集団への隷属を免れない。
さらに、日本人には、「個」の自立の基盤となる哲学がなかったことである。
本来、その役割を担うのが宗教であるが、日本の宗教は、村という共同体や
家の宗教として存在してきたために、個人に根差した宗教とは なりえなかった。
日本人は、寺院や神社の宗教行事には参加しても、教義などへの関心はいたって低い。
これも、宗教を自分の生き方と切り離して、村や家のものと、
とらえていることの表れといえる。
もし、個人の主体的な意思で、宗教を信じようとすれば、教えの正邪などの
内実を探求し、検証していかざるをえないはずである。
こうした、宗教への無関心、無知ゆえに、
日本人は、自分宗教につい尋ねられると、どこか恥じらいながら、家の宗教を答えるか、
あるいは、無宗教であると答える場合が多い。
それに対して、欧米などの諸外国では、誇らかに胸を張って、
自分がいかなる宗教を信じているかを語るのが常である。
宗教は自己の人格、価値観、生き方の根本であり、新年の骨髄といえる。
その宗教に対する、日本人のこうした姿は、世界の常識からすれば、
はなはだ異様なものといわざるをえない。
そのなかで、日蓮仏法は個人の精神に深く内在化していった。
そして、同志は「個」の尊厳に目覚め、自己の宗教的信念を表明し、主張してきた。
いわば、一連の学会員への村八分事件は、民衆の大地に兆した「民主」の萌芽への、
「個」を埋没させてきた旧習の抑圧であったのである。
これらの「村八分事件」をうけ、信教の自由、人権を守るため、
国会の 参院予算委員会で 取り上げることにした参議院議員。
自治大臣は 個人の自由だからとやかく言う問題ではないと答弁。
しかし、水道を止められたり、共有林の財産権剥奪など深刻な問題が起きていることを 指摘。
警察も 地元有力者と 結託し、取り調べをしないなどの点を 警察庁保安局の見解も尋ねる。
調査する姿勢を示すも、学会員への有形無形の圧力や差別はなくならなかった。
それらの報告を受ける山本伸一は、常にこう話した。
「長い人生から見れば、そんなことは一瞬です。むしろ、信心の最高の思い出になります。
仏法は勝負です。最後は必ず勝ちます。決して、悲観的になってはならない。
何があっても、堂々と、明るく、朗らかに生きていくことです。」と
伸一は、同情は その場しのぎの慰めでしかないことを、よく知っていた。
同志にとって大切なことは、何があっても、決して退くことのない、
不屈の信心に立つことである。そこにこそ、永遠に栄光の道があるからだ。
太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋
村八分事件は、社会的に見れば、日本という国の、未成熟な民主主義と
人権感覚を物語るものであったといってよい。
古来、日本には土俗的な氏神信仰があり、地域の共同体と宗教とが、
密接に結びついてきた。
江戸時代になると、幕府の宗教政策によって寺檀制度がつくられ、
寺院によって民衆が管理されるようになった。
そのなかで、寺院の言うがままに従うことが、本来の人間の道であるかのような意識が、
人びとに植えつけられていった。
明治以降、神社神道が、事実上、国教化されたことで、神社はもとより、
宗教への従属意識は、ますます強まっていった。
地域の寺院や神社に従わなければ、罪悪とするような日本人の意識の傾向は、
いわば、政治と宗教が一体となり、民衆を支配してきた、日本の歴史のなかで、
培われてきたものといえよう。
戦後、日本国憲法で信教の自由が 法的にも認められても国民の意識は変わらなかった。
そして、昔からの地域の寺院神社への寄付や宗教行事への参加が、
すべての地域住民の義務であるかのように考えられてきた。
なぜ、人びとは民主主義を口にしながらも 旧習から脱することができなかったのか。
それは、民主主義の基本となる「個」の確立がなされていなかったからにほかならない。
一人ひとりの「個」の確立がなければ、社会の制度は変わっても、精神的には、
集団への隷属を免れない。
さらに、日本人には、「個」の自立の基盤となる哲学がなかったことである。
本来、その役割を担うのが宗教であるが、日本の宗教は、村という共同体や
家の宗教として存在してきたために、個人に根差した宗教とは なりえなかった。
日本人は、寺院や神社の宗教行事には参加しても、教義などへの関心はいたって低い。
これも、宗教を自分の生き方と切り離して、村や家のものと、
とらえていることの表れといえる。
もし、個人の主体的な意思で、宗教を信じようとすれば、教えの正邪などの
内実を探求し、検証していかざるをえないはずである。
こうした、宗教への無関心、無知ゆえに、
日本人は、自分宗教につい尋ねられると、どこか恥じらいながら、家の宗教を答えるか、
あるいは、無宗教であると答える場合が多い。
それに対して、欧米などの諸外国では、誇らかに胸を張って、
自分がいかなる宗教を信じているかを語るのが常である。
宗教は自己の人格、価値観、生き方の根本であり、新年の骨髄といえる。
その宗教に対する、日本人のこうした姿は、世界の常識からすれば、
はなはだ異様なものといわざるをえない。
そのなかで、日蓮仏法は個人の精神に深く内在化していった。
そして、同志は「個」の尊厳に目覚め、自己の宗教的信念を表明し、主張してきた。
いわば、一連の学会員への村八分事件は、民衆の大地に兆した「民主」の萌芽への、
「個」を埋没させてきた旧習の抑圧であったのである。
これらの「村八分事件」をうけ、信教の自由、人権を守るため、
国会の 参院予算委員会で 取り上げることにした参議院議員。
自治大臣は 個人の自由だからとやかく言う問題ではないと答弁。
しかし、水道を止められたり、共有林の財産権剥奪など深刻な問題が起きていることを 指摘。
警察も 地元有力者と 結託し、取り調べをしないなどの点を 警察庁保安局の見解も尋ねる。
調査する姿勢を示すも、学会員への有形無形の圧力や差別はなくならなかった。
それらの報告を受ける山本伸一は、常にこう話した。
「長い人生から見れば、そんなことは一瞬です。むしろ、信心の最高の思い出になります。
仏法は勝負です。最後は必ず勝ちます。決して、悲観的になってはならない。
何があっても、堂々と、明るく、朗らかに生きていくことです。」と
伸一は、同情は その場しのぎの慰めでしかないことを、よく知っていた。
同志にとって大切なことは、何があっても、決して退くことのない、
不屈の信心に立つことである。そこにこそ、永遠に栄光の道があるからだ。
太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋