『新・人間革命』第4巻 春嵐の章 P47~


このころ、創価学会への不当な村八分が、各地で深刻さを増していた。


兵庫県のある山間の地域では、神社の守り番を、
毎年、住民が順番で行うことが慣習になっていた。


学会員の組長は 神社への奉仕や 参拝をしなければならないことが、
自分の宗教的な信条から納得できなかった。


そこで、地域の総会で、宗教は自由なので、他の行事には 喜んで協力させてもらうが、
守り番のような宗教的な行事には しないと発言。


すると、地域の臨時総会を 学会員抜きで開催し、地区規約の改正を行い、
神社行事の係りをすることを規約に 盛り込ませた。


そして、その義務を果たさない者は、地区民としての一切の権利を失うことを
明記したのだ。

地域の責任者は その規約をたてに、学会をやめるよう迫った。
学会員たちが「絶対やめない」と答えると、地域の水道委員が
学会員の家の簡易水道の元栓を止めた。


地域の義務を果たさない者は水道も使えないというのだ。
さらに、地域の行事の連絡に使われていた有線放送の設備も取り外され
共有の 山林の権利も剥奪。


学会員は 川まで水を汲みに行ってそれを飲んで暮らさなければならなかった。
近所の人たちは、挨拶もしなくなり、子どもへのいじめも始まった。


一地域で起こった学会員への 村八分事件は、憲法に保障された、信教の自由、
基本的人権を脅かすものであることは明白である。


他の地域でも 同様の村八分が 行われていた。
地元の警察署に 人権侵害、名誉棄損で告訴し、法務局にも、
規約には 憲法違反の疑いがあることを告げ、調査を要請した。


法務局は、すぐに調査を開始し、区長に対し地区規約を破棄するよう勧告。
しかし、地元の警察は、地区の役員らと密接な繋がりがあるせいか、
いくら窮状を訴えても、なかなか動きだそうとはしなかった。


地区の役員は、考えを改めようとはせず、
「憲法違反であろうが、なかろうが、地区のことは地区の規約によって
運営するものだ」といってはばからず、さらに 学会員に圧力をかけた。


そんな中、3月16日に 開催された 青年部第1回音楽総会で、山本伸一は
戸田城聖が 広宣流布の模擬試験としてしめした、式典が終了した時、
「我々は戦おうじゃないか!」と言われた意味を話す。


この日のあいさつは、聖教新聞に掲載され、全国の会員は、
決然と奮い立った。
「我々は戦おうじゃないか!」との言葉は、同志の合言葉ともなった。


村八分にあっていた学会員たちは、この指導に勇気を得て、
「村八分は 大きな魔が競い起こって 信心を試しているのだ」と、
とらえ、負けなかった。


こうした事件は 宗教色の強い行事に、半ば強制的に参加させられることへの
同志の拒否に始まっている。
それは、彼らが学会員となることによって信教の自由に目覚めたからにほかならない。



村八分は 共有林などの財産権の剥奪や 農業に必要な共同機材などを使用させない、
祭りの神輿を 店に乱入させるなど 悪質な暴力をふるわれるケースもあった。


伸一は、なんの罪もない同志が、理不尽な圧迫を受けていることが、
かわいそうでならなかった。
しかし、それは仏法の法理に照らして考えれば、当然のことでもあった。


村八分の理由は いずれも、寺院や神社への行事の不参加や、寄付の拒否であったが、
それらは、むしろ、口実にすぎなかったようだ。



本当の理由は、それぞれの地域で、本格的な折伏が始まったことへの
“恐れ”にあったといってよい。


学会の布教によって、まず、既成宗派の寺院や神社が、檀家や氏子が奪われてしまうという
危機感をいだいた。さらに、寺院や神社にかかわりのある地域の有力者たちが、
学会員が増えていけば、地域の秩序が乱され、自分たちの立場も危うくなるかのような
錯覚を持ち、学会員を締め出しにかかったのである。


そこには、他宗派や一部のマスコミの喧伝による、学会への歪められた認識もあった。



大聖人は、「大難なくば法華経の行者にはあらじ」と仰せである。
難がなければ、まことの信心ではない。広宣流布が進めば、
必ず嵐が競い起こるはずだ。

確かに嵐は吹き始めたが、それは、まだまだ本格的な嵐というには、
ほど遠いことを伸一は感じていた。

全同志を、どんな大難にも、喜び勇んで立ち向かっていける、強き信仰の人に
育て上げなくてはならないと思った。


伸一は、この村八分事件を、そのためのステップととらえていたのである。



太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋