『新・人間革命』第3巻 仏陀の章 P209~


釈尊の生涯のなかでも、大きな法難として伝えられているのが、いわゆる
「九横の大難」であり、そのうちの二つは、女性をめぐるスキャンダル事件であった。


その一つが「旃遮女の謗(せんしゃのそしり)」である。
艶やかな衣服をまとって美女が 釈尊のもとを訪ね、
翌日、帰る姿が目撃される。

1か月ほど過ぎた頃、彼女は「釈迦の部屋に泊まった」と言い出す。
それから、お腹が大きくなり、「釈迦の子を身ごもった」と吹聴して歩く。

皆の前で、「釈迦が私を弄んだ」と大声で泣き叫ぶ。
釈迦は「本当か嘘かは、私とあなたしか、わからないことだ」と
落ち着いて話す。それを見て、釈迦に疑いの目を向ける人々もいた。

その時、強風が吹いて 彼女の衣服が煽られ、腹の下に隠していた鉢が転げ落ちる。
事実が判明し、逃げ帰る女。これは、外道の者たちによって、巧妙に仕組まれた罠であった。


もう一つは、「孫陀利の謗り(すんだりのそしり)」という事件だ。
孫陀利という美しい女性が、釈尊のいる祇園精舎に日々通っていた。

その後釈尊と状を通じたと吹聴するようになり、その後、突然姿を消す。
行方不明の彼女を捜索すると 祇園精舎から遺体が発見される。

「釈尊の弟子たちが、釈尊の悪行を隠そうとして殺した!」と噂が流れる。
この流言に 多くの人びとが同調し釈尊の一門は 集中砲火を浴びる。

やがて、真犯人がつかまり、外道たちが、仕組んだことだと判明する。


自分たちが、罪を犯し、それを聖者の犯行のように仕立て上げるー
これは、古来、弾圧に用いられてきた、常套手段といってよい。


もともと、釈尊には、社会的に罪となる行為など、いっさいないだけに、
排斥するには、自分たちが事件を捏造して、讒言によって罪を被せるしか方法はない。
そこに、冤罪による法難の構図がつくられていくのである。


ともあれ、釈尊の教団は、これらの試練を乗り越えて、信仰を深め、
金剛不壊の団結を築き、発展していったのである。



信仰によって、結ばれた人間の絆は、利害によるものではなく、
「信頼」を基盤にした良心の結合である。



なかでも、舎衛城での釈尊の布教は 急速に進んでいった。
舎衛城の周辺には9億の家があったとされる。
一億というのは、現在の十万で、90万の家があったことになる。


釈尊はここで、25年間にわたって説法をしたといわれるが、
仏を見たのは、9億の三分の一であった。


ほかの三分の一は 直接、仏を見ることはなかったが、
仏の偉大さを耳にすることはできた。


しかし、残りの三分の一の3億は、仏について見ることも聞くこともなかった。
この人びとを「舎衛の三億」といった。


本来、この話は、仏法に縁することの難しさを語ったものだが、
“仏を見た人”とは、仏にまみえ、帰依もしくは尊敬した人ととらえることもできよう。


すると、見方を変えれば、舎衛城の三分の二の人が、
仏法の帰依者、あるいは理解者であったということになる。


いわば、「舎衛の三億」とは、仏教流布の一つの模範を示すものといえよう。





太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋