『新・人間革命』第3巻 仏陀の章 P183~


釈尊は思った。

無明とは、自身の生命の迷いである。
まさしく生命の無明こそが諸悪の根源であり、
生老病死という人間の苦悩をもたらす要因にほかならない。


ゆえに、この迷い、無明という己心の悪と対決するところから、
人倫の道、崩れざる幸福の道が開かれるのだ!


“この法を説くべきか、説かざるべきか・・・”
彼の悟った法は、いまだかつて、誰も聞いたこともなければ、
説かれたこともない無上の大法である。


人びとは病を恐れ、老いを恐れ、死を恐れ、欲望に身を焼き、互いに争い合い、
苦悩している。それは「生命の法」を知らぬがゆえである。
しかし、衆生のために法を説いたとしても、誰一人として、理解できないかもしれない。


釈尊は孤独を感じた。それは未聞の法を得た者のみが知る、
「覚者の孤独」であった。


彼は、悩み、迷った。魔は、仏陀となった釈尊に対いても、
心の間隙を突くようにして競い起こり、さいなみ続けたのである。


「仏」だからといって、決して、特別な存在になるわけではない。
悩みもあれば、苦しみもある。病にもかかる。そして、魔の誘惑もあるのだ。


ゆえに、この魔と間断なく戦い、行動し続ける勇者が「仏」である。
反対に、いかなる境涯になっても、精進を忘れれば、
一瞬にして信仰は破られてしまうことを知らねばならない。


彼は、遂に決断する。
“私は行こう! 教えを求める者は聞くだろう。汚れ少なきものは、理解するだろう。
迷える衆生の中へ、行こう!”


釈尊は、そう決めると、新しき生命の力が込み上げてくるのを感じた。
ひとりの偉大な獅子が、人類のために立ち上がった瞬間であった。


一人の発心は、一人にとどまらない。一波が、十波、百波となって広がっていくように、
そこに連なる幾多の人間へと波動していく。


釈尊の感じた孤独を 知っていた池田先生。
それは未聞の法を得た者のみが知る、「覚者の孤独」。


「この釈尊に対する先生(池田大作)の視点は、先生ご自身を
 言い表しているように思えてなりません。」
とインド文化国際アカデミーの
ロケッシュ・チャンドラー理事長が語っているとおりだ。



太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋