『新・人間革命』第3巻 仏陀の章 P165~
釈尊の生きた年代については定かではない。
釈尊は、釈迦族の王子として、生まれた。姓は「ゴータマ」
長じて、悟りを得ると、「ゴータマ・ブッダ」、あるいは、
釈迦族出身の聖者の意味で「シャーキャムニ(釈迦牟尼)」と呼ばれる。
「釈尊」とは、その訳語である。
釈尊の父は浄飯王、母は王妃の魔耶である。
釈尊は 生後わずか1週間で母を亡くしてしまった。
万人の避けることのできない、老・病・死の問題を解決するため、
王家の生活を捨て、出家の道に進む釈尊。
禅定や苦行や断食にまじめに励むが悟りを得られなかった釈尊。
旅をしながら、尼連禅河を渡り 菩提樹の下で、深い瞑想に入る。
次々と襲う欲望への執着、飢え、眠気、恐怖、疑惑と戦い、
やがて、釈尊は、自分は久遠の昔から生じては滅し、滅しては、また生まれるという、
その連続の中にいることを知った。
彼は三世にわたる生命の永遠を覚知したのである。
“これだ、これだ!”この刹那、この一瞬、釈尊は大悟を得た。
ついに仏陀となったのだ。
ー大宇宙も、時々刻々と、変化と生命のリズムを刻んでいる。
人間もまた同じである。幼き人も、いつかは老い、やがて死に、また生まれる。
いな、社会も、自然も、ひとときとして静止していることはない。
その流転しゆく万物万象は、必ず何かを縁として生じ滅していく。
何一つ単独では成り立たず、すべては、空間的にも、時間的にも、連関仕合、
「縁りて起こる」のである。
そして、それぞれが互いに「因」となり、「果」ともなり、しかも、
それらを貫きゆく「生命の法」がある。
釈尊は、その不可思議な生命の実体を会得したのであった。
彼は、自身が、今、体得した法によって、無限に人生を開きゆくことが確信できた。
迫害も、困難も、逆境も、もはや風の前の塵にすぎなかった。
太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋
釈尊の生きた年代については定かではない。
釈尊は、釈迦族の王子として、生まれた。姓は「ゴータマ」
長じて、悟りを得ると、「ゴータマ・ブッダ」、あるいは、
釈迦族出身の聖者の意味で「シャーキャムニ(釈迦牟尼)」と呼ばれる。
「釈尊」とは、その訳語である。
釈尊の父は浄飯王、母は王妃の魔耶である。
釈尊は 生後わずか1週間で母を亡くしてしまった。
万人の避けることのできない、老・病・死の問題を解決するため、
王家の生活を捨て、出家の道に進む釈尊。
禅定や苦行や断食にまじめに励むが悟りを得られなかった釈尊。
旅をしながら、尼連禅河を渡り 菩提樹の下で、深い瞑想に入る。
次々と襲う欲望への執着、飢え、眠気、恐怖、疑惑と戦い、
やがて、釈尊は、自分は久遠の昔から生じては滅し、滅しては、また生まれるという、
その連続の中にいることを知った。
彼は三世にわたる生命の永遠を覚知したのである。
“これだ、これだ!”この刹那、この一瞬、釈尊は大悟を得た。
ついに仏陀となったのだ。
ー大宇宙も、時々刻々と、変化と生命のリズムを刻んでいる。
人間もまた同じである。幼き人も、いつかは老い、やがて死に、また生まれる。
いな、社会も、自然も、ひとときとして静止していることはない。
その流転しゆく万物万象は、必ず何かを縁として生じ滅していく。
何一つ単独では成り立たず、すべては、空間的にも、時間的にも、連関仕合、
「縁りて起こる」のである。
そして、それぞれが互いに「因」となり、「果」ともなり、しかも、
それらを貫きゆく「生命の法」がある。
釈尊は、その不可思議な生命の実体を会得したのであった。
彼は、自身が、今、体得した法によって、無限に人生を開きゆくことが確信できた。
迫害も、困難も、逆境も、もはや風の前の塵にすぎなかった。
太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋