『新・人間革命』第2巻 「先駆」の章 p16
山本伸一(池田先生)は 会長に就任すると、直ちに全国各地を回り、
会員の指導、激励に東奔西走してきた。
それは、一人でも多くの会員と会い、ともに新たな出発をするためであった。
また、誕生した新支部の旅立を祝福し、活動の流れを速やかに軌道に乗せるためでもあった。
伸一が最初に訪れたのは、大阪であった。
関西は伸一にとって、忘れ得ぬ、青春の思い出の天地であった。
関西のメンバーは 皆、入会の日も浅く、活動の経験も乏しかったが、
伸一の指揮のもと、純真に懸命に活動に取り組んだメンバーによって、
1支部で 1か月に 1万1千111世帯という広宣流布の歴史に残る
不滅の金字塔を打ち立てた。
さらに、7月の参議院選挙でも 「まさかが、実現」と新聞に書きたてられた
大阪地方区で不可能と言われた当選を果たす。
だが、その後学会の全身を阻もうとする権力により、伸一は 不当逮捕されてしまう。
その時、伸一の逮捕を悲しみ怒り、邪悪な権力との闘争に立ち上がったのが
関西の同志であった。
山本伸一を 新会長に迎えた関西同志の喜びが爆発する。
関西の友にとって、伸一との間に介在するものなど、何もなかった。
立場や役職といった関係を超えて、ともに広宣流布の使命に生きようとする、
人間と人間の絆に 結ばれていた。
それが、関西の強さであり、また、学会の強さでもある。
かつて、戸田城聖は
「なぜ、私は関西にやってくるのか。それは、
この関西から 大阪から、貧乏人と病人をなくすためである。」
と指導された。
創価学会は「貧乏人と病人の団体である」との批判が 何度も繰り返されていた。
その時、戸田は、そんな悪口を言うものがいたら、
「それでは あなたは、貧乏人と病人を、何人救ったのですか」と言ってやりなさい。
と指導された。
仏法は、現実から目をそらし、慰めや 観念の幸福を説くものではない。
眼前の不幸に挑み、現実社会のなかで、勝利の実証を打ち立てていくのが、
本来の仏法のあり方である。
300万世帯の達成といっても どこまでも、友の救済にある。
太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋
山本伸一(池田先生)は 会長に就任すると、直ちに全国各地を回り、
会員の指導、激励に東奔西走してきた。
それは、一人でも多くの会員と会い、ともに新たな出発をするためであった。
また、誕生した新支部の旅立を祝福し、活動の流れを速やかに軌道に乗せるためでもあった。
伸一が最初に訪れたのは、大阪であった。
関西は伸一にとって、忘れ得ぬ、青春の思い出の天地であった。
関西のメンバーは 皆、入会の日も浅く、活動の経験も乏しかったが、
伸一の指揮のもと、純真に懸命に活動に取り組んだメンバーによって、
1支部で 1か月に 1万1千111世帯という広宣流布の歴史に残る
不滅の金字塔を打ち立てた。
さらに、7月の参議院選挙でも 「まさかが、実現」と新聞に書きたてられた
大阪地方区で不可能と言われた当選を果たす。
だが、その後学会の全身を阻もうとする権力により、伸一は 不当逮捕されてしまう。
その時、伸一の逮捕を悲しみ怒り、邪悪な権力との闘争に立ち上がったのが
関西の同志であった。
山本伸一を 新会長に迎えた関西同志の喜びが爆発する。
関西の友にとって、伸一との間に介在するものなど、何もなかった。
立場や役職といった関係を超えて、ともに広宣流布の使命に生きようとする、
人間と人間の絆に 結ばれていた。
それが、関西の強さであり、また、学会の強さでもある。
かつて、戸田城聖は
「なぜ、私は関西にやってくるのか。それは、
この関西から 大阪から、貧乏人と病人をなくすためである。」
と指導された。
創価学会は「貧乏人と病人の団体である」との批判が 何度も繰り返されていた。
その時、戸田は、そんな悪口を言うものがいたら、
「それでは あなたは、貧乏人と病人を、何人救ったのですか」と言ってやりなさい。
と指導された。
仏法は、現実から目をそらし、慰めや 観念の幸福を説くものではない。
眼前の不幸に挑み、現実社会のなかで、勝利の実証を打ち立てていくのが、
本来の仏法のあり方である。
300万世帯の達成といっても どこまでも、友の救済にある。
太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋