小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

開拓者

『新・人間革命』 開拓者の章 P271

ニューヨークを発ち ブラジルのサンパウロを目指す。
現地の学会員の状況もわからず、
ポルトガル語と英語を話せる人もいないなか、ブラジルを目指す一行。

激しく揺れる機内で最悪な体調にもかかわらず、
ブラジル広布におもいをめぐらす山本伸一(池田大作)。

空港に到着したのは 午前1時半過ぎ。
二時間余り遅れての到着であったが、空港のロビーには
学会歌で、出迎える二~三十人の学会員がいた。


ほとんどが、日本から移住し、農業に従事していた男性だった。
座談会では、日系移住者の過酷な生活状況が 語られた。


明治41年に 日本政府による、ユートピアのようなうたい文句に、
「契約移民」としてこの世の楽園ブラジルにやってきた人たち。

だが、実際の ブラジルは 奴隷制廃止にともなう人手不足を補うため、
かつての奴隷に代わる 新たな低賃金労働者を 欲していたのだった。

夢を抱いてブラジルに来た人々を待っていたのは悲惨な生活であった。

戦後になるまでの、ブラジル日系人の“勝ち組”と“負け組”の対立など、
終戦後に移住が再開されるまでにも 長い歴史があった。


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知らなかったブラジル移住民の歴史。
政府に「ユートピア」だと言われて・・・。
どこかで聞いた文句だ。歴史は繰り返す。
政治も繰り返す。



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折伏精神と 友情

『新・人間革命』1巻 慈光 P241

大仏法の慈光は ニューヨークの摩天楼にも降り注ぐ。
10月13日 トロントを出発した飛行機が ニューヨークに到着した。


「破邪顕正」の折伏精神と 人にたいする寛容性は 相反するのか?


「仏法の正邪に対する 厳格な姿勢と 人に対する寛容は 本来一体のものである。」

例えれば、
毒キノコを食べた病人に 医者がもう 絶対毒キノコを食べてはいけないと 注意する。
患者が おいしいから 又、食べたいと言っても 医者は絶対反対するようなもの。


仏法者であれば、慈悲と信念から苦しみを取り除こうとする。
部分観にすぎない、低い教えを 最高の法と信じてしまえば、
最高の 法を 信じられなくなり、結局人々は不幸になるのが目に見えている。

悪を見逃すことは 結果的に悪を野放しにすることになるのだ。

根本は 慈悲の心だから、信心に励めば励むほど より、大きな心で
友をつつみ、友情も深まっていくのが 本来の姿。

折伏とは 対話による 生命の触発作業だから、
信頼と友情がなくては 成りたたない。


宗教の違いを超え、人間としてより、多くの人と深い友情を結びあい、
友の幸せを願える人間になることが 仏法の広がりと深さを示す証明になる。


仏法のヒューマニズムの精神


カトリック教徒の夫に対し、山本伸一は
「教団に属するか、属さないかは、問題ではありません。
仏法を信じ、一遍でもお題目を唱え、私たちと同じ心で、奥さんやメンバーを見守り
、応援していただければ十分です。そうすれば、さらに仏法の素晴らしさがわかります」
と言って壮年と握手した。



広宣流布とは、即、人類の幸福であり、世界平和の実現である。
それは、人間の心に内在する、「仏」という善なる生命を開き、耕し、
ヒューマニズムの友情の輝きをもって、世界を包みゆくことにほかならない。
いわば、人間という普遍の大地に立った生命のルネサンス運動が、
広宣流布であるといえよう。



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素晴らしい!
半世紀以上も前に 池田先生が 書いていた通りに
今、世界中でヒューマニズムの友情が輝いている!!!


太字は『新・人間革命』第1巻 「慈光」の章より抜粋


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安保闘争

『新・人間革命』 錦秋 P204

10月11日 シカゴから トロントへ 移動
飛行機の窓の下には、炎の海のような紅葉が広がっていた。
まさに錦秋である。


翌12日夜、英字新聞が 社会党の浅沼委員長が
17歳の右翼の青年に刺され死亡したとの記事が報じられていた。


この年には 新安保条約にまつわるテロ事件が相次いでいた。
6月17日には 二十歳の青年が 社会党顧問 河上議員をナイフで刺し、
傷を負わせる事件があり、7月14日には 岸首相が、65歳の男に 刺されると言う
事件が起きていた。


17歳の少年は 右翼団体の関係者と疑われたが、自衛官を父にもつ、
礼儀正しく、優しく純粋な青年であったという。

彼は ある日右翼が 青年決起を呼びかける主張に触れ、
熱を帯びた 単純明快な 訴えに 魂を激しく揺さぶられ、
右翼団体の活動家となっていく。


安保反対運動が 激化する中、右翼のリーダーたちが、
口では 打倒を 叫びながら 行動に移さないことが納得いかなかった。
そして、焦り、“自分が 殺すしかない”と直接行動を考えるようになった。


少年は 心の支えとして、尊王論を よく読み 
直前には「生長の家」の谷口雅春の天皇への帰一の道は 忠であるという
「私なきが、『忠』なり」の言葉に、決断したもののようである。


暗殺事件から21日後 少年は 独房で首をつり命を絶った。


「少年は 自己の描く観念の理想の尺度に、現実を当てはめようとしたのではないか。
 しかし、矛盾をはらみ、流動する生きた現実が、観念の尺度に合うことはない。
 合わないとなれば、行きつく先は“焦り”か“諦め”である。」


「あの、“安保闘争”に情熱を注ぎ、一敗地にまみれた学生たちの多くは、既に
 改革に背を向けていた。両者は 主義も主張も正反対ではあるが、
 共通した何かを 伸一は感じた。
 
 彼は 改革を夢見る純粋な魂が、希望を失い 無残に 散り果て、また、朽ちていく
 無念さを 噛み締めていた。現実の社会の大地に、若き力が根を張り、枝を茂らせてこそ、
 新しい時代の創造は 可能となるからである。」



残虐非道な犯行を憎み、また、テロの暗い泥沼に沈んでいった犯人の少年も
また、哀れでならない。

太字は 『新・人間革命』 1巻より抜粋


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